NOGUCHI

戯言以上の何か

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最近の記事

もの音

ものを丁寧に扱う 優しく扱う   とは思っていても 習慣にある身体がそれを許さないとき 気づいたらキキーッ、バタッ、ドン!  などと 粗雑な音は世界を緊張させる  無垢な何かを警戒させる そうではなく もの音を優しく響かせる  心地良い挨拶のように 美しい打楽器のように 世界に柔和に溶け込ませる どうだろう  そんな感じでものと接し、もの事に向かうのは 奏でる つまるところ人間に対しても  と、休みの日の余裕な朝にこそ ふと思う

    • 澄む

      初夏の御岳山。繁茂した緑が眩しい。 野鳥がどこかで鳴いている。 羽虫が耳元で羽ばたく。 清流は涼やかに下り、微風は青葉を揺らす。 純粋な営みとしての音が生き生きとして、 全てが澄んでいる。 自然の摂理に浸る最中、言葉はいらない。 ここでは沈黙こそ語れる気がする。 ある人は情緒と云った。 また、ある人は詩心と表現した。 大自然の共通言語はそのようなものらしい。 例えば、人々は祈りを捧げる。 詩をつくり、歌を歌う。 時折酒を飲んでは酩酊し、舞い踊る。 人間同士、粋な振る舞いに惚れ

      • 抱擁

        夜は衣をまとう  妖しく翻る青のドレスを  あらゆる内言を惹きつける力 日毎美しい示唆を与えてくれるのは  煌びやかな星々や艶やかな月光ではなく 実はあの底知れぬ深い夜との抱擁ではないか

        • 黒松

          巨人の大腿のような幹 地面深く屹立し、枝葉を空に躍らせている    庭園の一隅に風格あり  その佇まいに圧倒されて思わず触れたくなった 亀甲状の肌と、ごつごつとした威厳  けれど素朴な親しみ 生命と生命が相対するとき

          衒う

          詩を書こうとした 大切な人のことを だけど、それは詩を衒った何かで 思考するほど逃げていった だから諦める 今は 言葉に表せないものを 言葉にしてしまうのは という、言い訳よ

          初夏の情緒

          5月初旬。日が沈んで空は群青になる。 日中の火照りから冷めた風がさらさらと肌を撫でる。  駅から自宅まではおよそ2キロの桜並木通り。  花びらはとうに散って、青葉が瑞々しい。 仕事を終えた週末。 心地良い脱力感とともに 無防備に身体を晒している時間が好きだ。 夜の闇が自身の姿を見えにくくし、束の間、 急き立てられる日常を忘れさせてくれる。 それは現実からの逃避よりも根源的な楽観を  思い出させてくれる。 此処にただ存在しているという確かさ、懐かしさ、嬉しさ。 今、一歩一歩

          初夏の情緒

          スコール

           スコール。この語感に惹かれる。透き通った激しさがある。刹那的で思いがけない展開を孕んでいるような、胸を浮かせる高揚感がある。急激な突風や驟雨のことをいうが、語源は北欧、古スカンジナビア語「叫び」の意味をもつskvalaに関連するといわれている。「叫び」。大声をあげる、ある意見を強く主張するといった意味である。聴覚的な印象をもつが、一方で無言の叫びというものもある。これは、無言、つまり聴覚への訴えはないものの、外界に発散させるエネルギーを秘めている。  解釈を拡げると「叫び

          スコール