死ぬということ 〜祖父の死に際して〜

本日、爺さんのお見舞いへ行ってきた。
御年86歳。6年前、僕の誕生日の前の日に最愛の妻(僕からすると祖母)が無くなった。
スティーブ・ジョブスと同じすい臓ガン。為す術がなかった。

爺さんは脳の病で少しずつ記憶と言語・身体機能を失った。
今は寝たきりで呼吸も難しい。遺伝らしい。

今から8年前、短いがすごくお世話になった同級生の父が亡くなった。
同級生とは中学から知り合い、部活が同じで向上心の高いライバルだった。
休みの日は、急にその同級生とお父さんが車でうちまで来て、「出かけるぞ」だなんて満面の笑みで色々なところに連れ出してくれた。
警官の課長なのに信号無視ギリギリで車走らせちゃう、いい意味で警官像をぶち壊してくれた人だった。
ヤンキーに絡まれた時も助けてくれた。
その同級生の父が大学受験の時期に蜘蛛膜下出血で亡くなった。温暖差が激しかった日の夕方に家の玄関で倒れていて、見つけた時には既に手遅れだったそう。
すごくショックだった。自分の父が急に死んだらとどうしようと思ったし、何より葬儀の時に毅然と振る舞おうとしている同級生を見て、いろいろな思いが込み上げて我慢できずその場で泣き崩れ、「なぜ俺が泣くのだろう」と疑問と悲しみが自分の中をグルグルしたことを今でも忘れない。

そして今、自分の爺さんが死のうとしている。まだ死なないけど。

以前紹介した『あした死ぬかもよ?』の内容や生前のスティーブ・ジョブズのスピーチが頭の中をよぎる。
思い描いた理想の自分を生きているのか?と。

今の自分は正直できていない。まだ決めきれない、まだ覚悟がつかないのだ。

特にうまくないくせにサッカー選手になりたかった。ピアノも弾けないのにアーティストになろうと思った。アイディアもないのに秋元康と同じ仕事をしようと思った。
そんな理想的な自分になることをまだ決めきれない。

今の自分は広告代理店でWebページの分析をツールを用いてしているが、明日死ぬ、1年後死ぬ、5年後死ぬとわかった時もその仕事を続けるかと言われたら、絶対続けない。

「そんなこと言ったって、みんな今の仕事をするよ」と思う人もいるかもしれない。
でも、きっとみんな、今の自分と同じで逃げているのだ、自分から。

自分から逃げ、現実から逃げ、自分の人生・死から逃げている。

「そんなこと言うなら、何するの?」と言われると、キツイ。笑
でも、今日をきっかけに自分の友達、好きだった女の子、お世話になった人にLINEをした。
少しでも人生に悔いを残さないために。

今思うのは、僕は人が好きだし、考えることが好きだし、感動するようなワクワクすることが好き。
好きなアーティストはSUPER BEAVER、ロードオプメジャー、SHE’S、エレファントカシマシ。
熱くて感動するアーティストばかり。
映画もSFよりヒューマンドラマ。アバウトタイムすごい好き。
漫画だってONE PIECE、DAYS、SLAM DUNK、orange…など青春系。
尊敬する人はシュタウフェンベルク大佐(ヒトラー暗殺計画首謀者のひとり)、秋元康、スティーブ・ジョブズ、ザッカーバーグ、ROLAND(今ハヤリの人)。
こんな人たちや登場人物に僕はなりたいと思う。

行動に移せていない、現実帰れていないけど、今この瞬間から行動することはできる。
”なりたい自分”になるために、今この瞬間から少しずつ行動する。

この投稿も、そんな行動の1つ。

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