【短編小説】ユミちゃんはげんき
「スイセンっていい匂いがするの。ふわーって甘くってね、あとね、ミントの匂いも好き。すぅっ、とするのよ」
「うん」
ぼくはうなずく。
「でもラベンダーの匂いはきらい。いやな感じがするの。でね、やっぱり一番はチョコレート!ぱあって幸せになるの」
「うん」と、またぼくはうなずく。
ユミちゃんはおしゃべりだ。
「あ!ねえヒロ、この前やったローラースケートで遊ぼうよ」
ぼくが返事をするよりも早く、ユミちゃんはローラースケートをごそごそと取り出す。
「うん、待って」
ぼくがもたもたしている間に、ユミちゃんはさっさと滑りだした。ぼくが急いでローラースケートをはくのを、ユミちゃんはぼくの周りを滑りながら待ってくれた。ユミちゃんは、準備ができたぼくの手を引っ張って滑りだす。どんどんスピードをあげる。
ぐん、ぐん。
ぐんぐんぐん。
「ユミちゃん、早すぎるよ。こわい」
ぼくは腰が引けてしまう。するとユミちゃんはパッと手を離した。ぼくはホッとして足の力が抜け、そのまま転んでしまった。ユミちゃんはそれを見てアハハと笑い、それから器用に八の字をえがいた。
「楽しいね、ローラースケート!」
ユミちゃんはそのままぴょーんと、自分の身長の3倍ぐらいジャンプして、空中で前に2回も回った。
「ヒロもやって。目が回って面白いよ。ほらっ」
ユミちゃんはもっと高くとび、今度は後ろ向きにくるくると回った。
「ぼくにはそんな風にできないよ」
「わ、横に回るともっと目が回るっ」
ぼくの返事は聞こえていないみたいだ。
ユミちゃんは、運動がとても得意だ。
二重とびはこの前連続で三百回もとんだし、とび箱も一番上の段が見えないくらいの高さでもとんでしまう。ユミちゃんなら、水の上だって走れるんじゃないかとぼくは思っている。
ローラースケートだって、始めて3日目でこんなに滑ることができるようになったのだ。
「見て見てっ」
ユミちゃんはぐんぐん滑る。そして自動車ぐらいのすごい速さまで加速して、さっきのさらに倍くらい高くジャンプしてみせた。
「こんな楽しいもの教えてくれるなんて、やっぱりヒロは超能力者だっ」
と空中で笑った。まるで空を飛んでいるみたいだ。
ユミちゃんはすごいのだ。
●
「ユミちゃん。遊びにきたよ」
「あ、ヒロ、遅いよ」
そう言ってユミちゃんはちょっと怒った。
「ごめんね。でもおみやげ持ってきたんだ。さて、何でしょう」
「えー、何だろう」
ユミちゃんは少し考えて、
「あ、チョコレートの匂い!」
「当たり!」
ぼくは小さなチョコレートの箱を開ける。
「だってね、甘くてとってもいい匂いがしてね、」
「ぱあってなる?」
「うん!」
ユミちゃんは笑う。
ぼくはチョコレートを一つ口に入れる。
「ヒロもぱあってなる?なった?」
ユミちゃんはぼくの顔をのぞきこむ。
「ぱあって、なった」
ぼくが笑うと、ユミちゃんはもっと笑った。
ぼくは小学校が終わったあとにユミちゃんと遊んでいる。
鬼ごっこをしたり、しりとりをしたり、なわとびをしたり、ローラースケートで滑ったり。
ユミちゃんはなんでもぼくより上手にできる。
今日は、絵をかいて遊んだ。
ぼくは犬や大きな鳥をかいた。
ユミちゃんは花をかいた。
かすみ草、コスモスやペチュニア、知らない花もたくさんあった。ユミちゃんはたくさんの色で花をぬった。
「きれいでしょ」
「うん、きれい。ぼくのもいいでしょ」
「うーん、犬はいいけど、鳥が変!なんでむらさきなの?」
「いいの、むらさきがかっこいいの!」
ユミちゃんは
「変なのー」
と笑いながら、また花をかいていた。ぼくは
「いいんですー」
と言い、鳥をもっとむらさきにぬりながら笑う。
「あ、ぼくそろそろ帰らなきゃ」
「えー。ヒロ、また明日も遊びにくる?」
「うん、また遊ぼうね」
「待ってるからね」
ぼくはユミちゃんの手をぎゅっとにぎってうなずいた。
ユミちゃんにさよならをしたあと、病室にいたユミちゃんのお母さんに会った。
「おばさん、こんにちは」
「こんにちは。ヒロくん、ユミと遊んでくれてたの?」
「うん」
「ありがとね。おばさん、ユミと遊んであげられないから...。あの子、元気にしてる?」
ぼくはうなずく。恥ずかしくて目をそらしてしまった。ユミちゃんのお母さんはとてもきれいだ。
「そうなのね。仲良くしてくれてありがとう」
そう言っておばさんはぼくの頭をなでてくれた。おばさんの細い指はひんやりしていた。おばさんはほほ笑んでいたけど、なんだかさみしそうだった。
●
「あのね、」
とユミちゃんはボールをぼくに投げながら言う。
その日、ぼくとユミちゃんはキャッチボールをしていた。
「わたし、こんな風にたくさん遊んだりおしゃべりするのはヒロがはじめてかも」
ぼくはボールをグローブでキャッチする。
「ぼくも、こうやってたくさん遊んだのはユミちゃんがはじめてだよ」
ぼくはボールを投げ返す。
「ヒロと遊ぶようになる前は、一人で遊んでばっかりで退屈だったの」
ユミちゃんはグローブでボールを捕り、ぼくに投げ返す。
「ヒロと遊んでると、すっごくすっごく楽しい。ヒロはやっぱり超能力者だねっ」
ぼくはボールを捕る。
「ユミちゃん、あのね」
ボールを投げ返す。
「なあに?」
「ぼく、もうユミちゃんと遊べないかも...」
ボールはユミちゃんのグローブから逸れて転がっていき、スイレンの茂みにかくれてしまった。
「なんで、なんで?」
「引っ越し、するんだって」
風がびゅうと吹く。
「ヒロ、遠くに行っちゃうの?」
「違うの。引っ越しをするのは、ユミちゃん」
「...え?」
「急にとおくの病院に移ることになったって、ユミちゃんのお母さんが言ってたの...」
「わたし、そんなの、聞いてない!!」
ユミちゃんはそう言ってグローブを地面に投げつけた。
「なんでお母さんはわたしに教えてくれないの!?」
「だって、ユミちゃんのお母さんはユミちゃんに会えないから...」
雨がぱらぱらと降り出した。
ユミちゃんの目からぽろぽろと涙がこぼれる。
「...うわああああん」
空が暗くなって、雨が強くなる。
ユミちゃん、泣かないで。
足下がぐらぐらする。風もますます強くなった。ユミちゃんの泣き声がひびく。
地面が伸びてユミちゃんが急に遠くなった。ぼくはユミちゃんの方に走る。でも、地面はぐんぐん伸びていき、ユミちゃんの姿はどんどん遠くなってしまう。
空も、地面も、どんどん暗く、黒くなる。
ユミちゃん、ユミちゃん。
どうか、泣かないで。
ぼくが目を覚ますと、おばさんが病室の棚の花瓶の水を入れ替えているのが見えた。
「あ、ヒロくん。大丈夫?」
「あ...うん」
ぼくは目をこすった。
「ごめんね、変な伝言をお願いをしちゃって。ユミは何か言っていた?」
「...泣いてた」
「そう...。そうよね」
そう言っておばさんは手で目を押さえた。
「ごめんね、いつもユミと遊んでもらってるだけでもヒロくんには迷惑かけてるのに...」
おばさんも泣いているみたいだった。
「そんなことないよ。ぼくだって、ユミちゃんと遊んでいて楽しいよ」
少し黙ってしまう。
それから、ぼくはにぎりこぶしを作って言った。
「学校の子は、ぼくのこと気持ちわるいって言うんだ。手をさわるだけで相手の心が読めちゃうようなやつになんて、近づきたくないって。
だから、ぼくが初めてユミちゃんと心の中でおしゃべりしたとき、ユミちゃんがぼくのことを超能力者みたいでかっこいいって言ってくれたのがとってもうれしかったよ」
おばさんは
「ありがとう」
と言って、ベッドに目をやった。
ぼくもつられてベッドを見る。
ユミちゃんはしずかに、すぅ、すぅと息をして眠っている。ベッドのユミちゃんは心の中で遊ぶときよりも背が高くて、髪も長くて、お姉さんという感じだ。お母さんにとてもよく似ていて、きれいな人だなと思う。
「ユミは、ヒロくんと出会う7年も前からこの状態なの。転院の話は急だったけど、転院する先の病院には最先端の機械が揃っているから、もっといい治療が出来るらしいの。ユミはヒロくんと離れ離れになってしまうのが嫌だろうけど、ユミが目を覚ます可能性が少しでもあるなら私は...」
ねえ、ユミちゃん。
ぼくはユミちゃんの手をにぎる。
ユミちゃんのお母さんは、ユミちゃんのことが大好きなんだ。いつもユミちゃんのことを一番に考えているんだよ。
「...おばさん。ぼく、今日は帰ります」
そう言ってぼくは病室を出た。
●
ユミちゃんが引っ越しをする日、病室に行くとおばさんが荷物の整理をしていた。
「こんにちは」
「あらヒロくん、こんにちは。ユミに会いに来てくれたの?」
ぼくはうなずく。
「この前はごめんね。ユミ、機嫌を直してるといいんだけど...」
「うん」
ぼくはベッドのとなりのイスに座り、ユミちゃんの手をにぎって目をつむった。
「ユミちゃん、こんにちは」
「...なんで何日も来なかったの?」
「それは...」
「わたしのきげんが悪いと思ったから?」
ぼくはちょっと困りながらうなずいた。
「ヒロが来ないと、もっときげん悪くなる!」
「ごめんなさい」
ぼくはあわててあやまった。
「もう、今日で引っ越し?」
「うん」
「そっか。でも、またいつか会えるよね?遊んでくれるよね?」
「うん。ぼく、ユミちゃんともっともっと遊びたいよ」
「うん。わたしね、ヒロのこと忘れないよ。ほら、見て」
ユミちゃんが指をさす方を見ると、スイレンの茂みのとなりにクレヨンのコスモスやペチュニアが植わり、風にゆれていた。
「この前、ヒロといっしょにかいたお花。ああやって植えておけば、ヒロのこと、忘れないと思って」
「すごい、本物の花みたい!」
すると後ろから鳴きごえがした。ふりむくと、犬がこっちに向かって走ってきているところだった。
「あ、ぼくがかいた犬だ!」
少しかおの大きなクレヨンの犬は、ぼくの手をぺろぺろとなめた。空を見ると、むらさきの大きな鳥がぱたぱたと飛んでいる。
「ほら、やっぱりむらさきがかっこいい!」
ぼくが鳥を指さすと、ユミちゃんは
「変だよー」
とくすくす笑った。
「ねえ、ヒロ。お母さんへの伝言おねがいしてもいい?」
「うん」
「もしわたしの体がよくなって目が覚めたら、いっぱいおしゃべりしたり、遊ぼうねって。ヒロももちろんいっしょにね」
「うん、わかった」
ぼくはうなずく。
「ぼくも楽しみにしてるね」
「うん。わたし、きっとよくなるからね。ありがとう!」
ユミちゃんは、よく晴れた青空の下、にっこり笑ってぼくに手をふった。
ぼくが目を覚ますと、病室はすっかりかたづいていた。
「おばさん」
ぼくは、さいごの荷物をまとめているおばさんに声をかけた。
「あら。ユミはなんて言ってた?」
「おばさんに伝えてほしいって。ユミちゃんの体がよくなって目が覚めたら、ユミちゃんとおばさんとぼくで、たくさんおしゃべりしたり、遊びたいって」
「うん...そうね。ありがとう」
「あと、おばさん、あのね。ユミちゃんはローラースケートがとっても上手なの」
「ローラースケート?」
おばさんはふしぎそうなかおでぼくを見た。
「うん。とっても速く滑れるし、とっても高くジャンプもできるの。あとね、二重とびは三百回も連続でできるし、とび箱もすっごく高いのもとべちゃうの。花の絵だってすごく上手にかけるよ。ユミちゃんはすごいんだよ。とってもげんきだよ。
だからね、ユミちゃんは、きっと良くなるよ」
「ヒロくん。本当にありがとう」
そう言っておばさんはぼくをだきしめた。
「あと、これはぼくのおねがい。おばさん、いつもスイレンの花をかざってくれてるけど、これからも続けてね」
ぼくは棚のかびんを指さす。
「おばさんがいつもスイレンをかざってくれてるから、ユミちゃんの庭にはいつもスイレンがさいてたよ。ユミちゃん、スイレンの匂いが好きなんだって言ってた」
おばさんは
「うん、そうするね」
とうなずいた。そしてかびんを大事そうに荷物の中にしまった。
「そろそろ車へ移動の時間です」
と言って看護師の女の人が病室に入ってきた。そして、
「移動用の点滴台に替えますからね」
と言って、ユミちゃんのうでについている点滴のはりをぬき、新しい点滴のはりを取り出した。
「いたくないようにやってね」
とぼくが言うと、女の人は少しおどろいたようにぼくを見た。それからゆっく新しいはりをユミちゃんのうでにさした。女の人が出ていくとき、ほんの少しラベンダーの匂いがした。
ぼくはユミちゃんを乗せた車を、手をふって見送った。
今度ユミちゃんに会いに行くときは、おみやげにもっともっとおいしいチョコレートを持っていこう。今度は匂いだけじゃなくて、ちゃんと食べさせてあげたい。
きっと、すぐにユミちゃんは目を覚ますはずだ。
だって、ぼくは知っているのだ。ユミちゃんのあの笑顔と、どこまでも晴れた青空を。
ぼくは知っているのだ。ユミちゃんはげんき。
おわり
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