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感じること大事なこと HSP/HSE


おはようございます


今日も書いていきます


題名の候補がいくつかあって、けどなかなか選べなかったので

さがしながら書きます


探しました


これは自分をHSPの気質を持っていると感じた人が、思っていたことを書くだけのところです



迷子


自然の中に、森の中にいると

頭がくらくらするときがある

遠くの山を見てただけなのに、気づくとその山が自分の心いっぱいに広がって


近い


森の中にいると、木漏れ日が喋っているように感じる

たまに吹く強い風は、自分の心を焦らせる

ここから帰れと言われてるような

木と風が喧嘩してるような

かと思ったら何事もなかったように冷静な会話が流れてるような


大自然は都会よりうるさいと感じる時がある


ただ、小学校の遠足とかで皆と自然の中に入ると

森は大人しくなる

ただの木の集まり、風や流れる川も

誰かの為の世界に戻る


芝生にシートを敷いて、皆とお弁当を食べたり

迷子にならないように地図を見ながらグループで歩いたり


皆といる時と一人でいる時とは自然に対する気持ちが違う

なんていうか、自然っていう名前の遊園地みたい

自分達を楽しませる為に、大きな玩具になってるみたい


だから、先生に怒られない程度に少し離れて

一人の場所で会いに行く


するといつも通りの不思議な、こわいような森に戻る

近くの木に触れると安心する

少し離れた場所にいる木々はあの太陽まで利用して自分を表現する


それをみてると段々自分が遠くに見える

頭がくらくらする


ここは一人にはなれない



運ぶ


子供の頃を思い出すと、車の事がかなり思い浮かぶ

遠出をすることが多かったのか、車の中が第二の家かもって思うくらい

長い時間を過ごした

けど、それだけの時間車に乗っているのに

あまり外の景色の事は覚えていない


目的地があるから、全部が途中っていう場所にしか感じないっていうのが理由かもしれない

ただ、なにか目立ったものがあると親が声をかけてくるからそれを見る

それで外の何かに注目しだすともう止まらない

目まぐるしく新しいものが流れてくる


知らない場所に行くことは、そんなに好きじゃないけど

家族や友達が一緒なら特に苦手意識もなく行ける

どんなに場所が変わっていようと、ここは

車の中の安心は変わらない


誰かがいるから、何処へでも行けた



同じ場所


行きと帰りは別世界

友達の家で遊んだ帰り道はよく迷子になっていたから、友達が途中まで一緒にいてくれることが多かった



行きに友達と話ながら歩いた道は一つだけ

後から道を思い出そうとしても、道だけのイメージが出来ない

帰り道だって、同じ道を反対にすれば同じになるはずなのに

場所の色が変わっている事、歩く人

遊ぶ前の気分、遊んだ後の気分

光り出す家に晩御飯の匂い、話し声、

犬のほえる声


やっとの事で家の近くまで来ると

その頃には帰り道すら楽しくて

よく通る場所なのに、毎朝登校班で並んで歩いてるのに

帰りも友達と途中まで一緒の

よく知ってる場所なのに、今この瞬間の積み重ねは特別に見える




心の景色


よく、なにかに見える雲の形を親や友達に報告してた

だからなにって言われても、

なんか面白いって思っただけ

面白い事を、誰かと笑いたかっただけ


一人で、面白い雲を見つけたとき

あー、面白い雲だーっておもった

その時はカメラや携帯を持っていなかったから撮れなかった

だから小学校生活の終わりに携帯を買って貰ったとき、見つけたら撮ろうって決めた


撮った


けど、なんか違う

ちゃんとあの雲は画面にあるのに

ここにはない

だから、誰にも見せなかった

時間がたって、一人でその写真を見たとき

画面にはただの雲が写ってた


人が見せてくれる写真は、その人の言葉と一緒に受け取ってもちゃんと一致してる

自分が見る雲は、今でも隣に誰かがいれば

あの雲が面白いってことを伝えられる

だから今度はその雲を撮ってみる

隣にいる人はよく撮れてるって笑ってたけど、自分はよくわからなかった


空気とか、感じたことは写真には映らないからかな

とも思ったけど、違った


また少し経ってから、写真を見返す機会があってその雲の写真を見付けた

なんだろうこれって思って消そうと思ったけど、意味もなく自分が撮るかなって思って

日付を見てその日を思い出す

なんか変なことしてるなって撮った自分を笑ったけど、



だんだん雲の形が変わっていくのがわかった

あの時、友達と見付けた雲っていうのを思い出してから。



なんでもないけど、ただ

一緒のものをみて笑った

それが自分には特別で嬉しいことだったから、残したんだってわかった


留めるもの


森は苦手だけど、木や竹

秋の色合いは安心するし、心を預けて楽になれる

けど、その場所にあるのは自分の心も含めた自然だけ

大きすぎるものの前で、自分がなにかの一部みたいに溶けていくのは面白かったけど

自分はそれでも一人の人間なのでってまた離れる


お前は俺の一部だって話しかける森は嫌い

けどその中にある一人一人は好き

自分が触れた木や少し離れたところにある木

傷のある木、みんなが特別扱いしてる木

小鳥が休む木

どれも安心する

強い孤独を感じた時だけは、森も良いなって思うけど


人と違うと安心する

自分って自分だったんだって

誰かじゃないんだってわかるから


人と同じはつまらない

自分じゃなくてもいいから


違うと思うから、一緒が嬉しくなる


自分一人でも、感じることは沢山ある

同じ場所でも違う人といると特別に見えたり

違う場所でも同じ人といると安心出来たり


色んな心で、景色を感じたい

きっと楽しいから


ただ、森は誰といっても少しこわい




来てくれてありがとうございました


今までで一番、自分でもよくわかってないことを書いたので

最後までよくわかんなかったです


ただ、ずっと同じに疲れてたのか

単純に飽きて違うことしようとしてたのか

なにかの目をずっと気にして生きていて、それを楽しもうとしてたのか


全然違うかもしれないし、それ以外もあるかもしれないけど

生きてるだけで、心は動き続けるから


だいたいこんな感じがしあわせって思うことにします


最近バランスが崩れていたから、傾きを直そうと思い思いに書いてしまったからかも


見つけたいもの、ちゃんと見つける

一人ではわからなかったその方法が沢山あって、知れてよかったなって思います



しっちゃかめっちゃかでごめんなさい

ここまでお付き合いいただきありがとうございました

今日も明日も、なんでもない幸せや楽しみに気づけますように


おしまい



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