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個性と焦がれること HSP/HSE



おはようございます


少し悩んでいた事を書き留めておきます


HSPという気質について詳しい説明をしたりはないです

ただ、その気質を持っていると感じた人が思うことを書いていきます



イロトリドリ


自分は占いや血液型とかで出てくる言葉が好きだったりします

基本的に個性を否定するようなものがないから

自分に当てはまってるとかの楽しみかたも良いけど、

そういう褒め方があるのかとか、

こういった性格にはそういう側面もあるのかって、優しい人間図鑑を読んでるみたいで面白くなる

それに、ポジティブな考えが多いから

自分の中でキッカケが欲しい時とかは、勇気を貰ったりする


自分は誕生日とか、血液型とかはわかりやすい個性の一つだから好きです

色んなものが一緒になって、その人なんだなってわかるから




浜辺


HSPと呼ばれる気質をもって生まれた人について、考えることがある

どんな未来が良いんだろうって



異なる考えを持つ人間が同じ場所で同じように生きやすくするためにルールがあると思ってる、自分の中の一つに。


HSPという気質を世界に広く認知させてどうなるのか

たとえどんなに広がろうと
目が変わることはない

人数が変わることはないから

その言葉を知らず孤独を感じている人に知って貰えることは、まず第一に大切で優しいことだと思う



例えば相手を理解するためにもし逆の立場になったら、理解者が過半数を越えたら
どうなるんだろう

自分達は生きやすい

そうではなかった相手のメリットは?
自身の体にはなんの影響もないけど

他人の為に知っておかなければならないことが増える


それこそ同調圧力のようなものが出来てしまったら

なにも変わってない、人が入れ替わるだけ


自分の生きやすい世界が他人もそうとは限らない

そうなったら、思いやりのあるもっと良い人間関係を築けるのにと思うこともあるけど、

正直、みんながそれを望んでいるとは思うことが出来ない

自分が苦手な事を好む人もいる

自分という個性をあわれみの目で見られる事だってある


考えを否定する訳じゃないし、自分が勝手に思い違いをしていることも多々あるけど


他人に求めることの罪悪感に、自分が立っていられなくなるだけ




そこから見えるもの


内側を変えなければ意味がない
もちろん気質がどうのではなく、
その後

生まれもったものを知った後
どう生きるか


他人は他人の責任を持たない、押し付ける人までいるくらい


だからどんなに人から意見を言われようが
自分の事は自分で責任をとるしかない



けど、他人を他人だと理解するのは凄く難しい

いつの間にか、自分の判断に混じっている

どうしても自分の物差しが出てきてしまう


それでも、、辛いなら
自分で良くするしかない


自分の中の良いことも悪いことも他人が占める割合が多いんだと思う


自分は今、一人で立っているのか
考えたい

色んな人の助けがあって~とか一人じゃ生きられないなんて事を言いたいわけじゃない

自分の心は、二本の足で立ち
両の手で誰かと握手が出きるのか

求めすぎず、与えすぎず

辛いとき、辛いと吐いて
楽になれるならそれで良い

自分は、自分で何とかする




自分は自分の事を出来損ないだと思ってる
みんなが普通だという事は自分には必死に努力しても出来なかった

周りにそんなことないと言われたところで

普通が出来てたら、学生時代に悩むことの大半はなかった


かわりに持ったモノを認めてくれる人もいたけど、

自分はずっと憧れてた
羨ましかった

自分に無いものを、欲しかったものをみんなは持ってる

自分には絶対に手に入らないみんなの当たり前

みんなの普通は自分の特別



声が出ない
みんなと同じ場所にきたら、声が出なくなった
話はできるのに、返事だって

でも、自分の言葉はもうない
聞かれたくないから
知ってほしくないから

周りの人達、みんな本当に好きだった



思った事を話せたら

思うことが全部自分の言いたいことだったら


みんなみたいになれない
だから、自分らしく生きる
それを幸せにする

今は、それしかわからない

みんなからみた自分が良く見えていようが、そうではなかろうが

自分が良いと思えるようにする



普通はつまらないって、中学で他人を強く意識するようになってから思うようになった

けどそれまでは、普通と違うことをするとみんなが笑ってくれるからって違う事を意識してた




自分は、ずっと忘れられない嫌な思い出がある


小学校の低学年の時、ボランティアで障碍を持って生まれた人達の運動会のサポートするというものに参加したことがある

参加した理由は良く覚えてない

単純に枠が空いてたからか、楽しそうだったからか

誰かの役に立ちたかったからか


当日に自分と一緒に行動することになった人は、自分より少し歳上のお兄さんだった

自分の前では同じ歳の友達のように、その子の親の前ではわがままで甘えん坊な普通の人だった


ただ、自分はその子のにおいに少し苦手意識を持ってしまった

シャワーが、水が大嫌いだったらしい

(実際は自分が過敏なだけだったのかも)


けど、周りの自分の友達は平然としてて

自分は

自分が嫌になった

自分の中に、一瞬

偏見が生まれそうになった、それが悔しくて悲しかった

一瞬でも苦手意識を持ってしまった相手と、何事もなかったように仲良く話してる自分が嫌だった

仲良く話してるのは嘘じゃないし、嫌いにもなってないのに

自分をゆるせなかった


いとこにも一人、発達障碍を抱えた弟がいる

おじさんや周りは、いくら言っても言うことを聞かないその子に辛く当たることが多かった


けど自分にとっては可愛い弟のようだった

自分の言うことは基本的に聞くし、ちゃんとどうして駄目かその子にとって何が危ないかを言った後

他に楽しそうなことを一緒に見つけて遊んでた

笑いかけるといつも笑顔を返してくれた


ただそれは、自分が厳しいことを言わなくても済む立場だったからかもしれない


色んな人がいるとはわかってる

付き合い方も人それぞれ


孤独を感じている人や助けが必要な人に差し伸べる手が、必要なら手を伸ばしたい

知るべき人に届くキッカケが広がっていったら良いと思ってる



他人にわかって貰う事よりも、

自分が幸せに思うことを表現していければ

世界は自然と目を向けるかもしれない


これは駄目なんだって言うより、これが好きなんだっていうことも沢山伝えたい





来てくれてありがとうございました


色んな経験をして、色んな人と出会って

自分を好きになったり、嫌になったり


自分は優しくておおらかな人間ではないから、そうありたいって思ってます


皆が色んな考えを持って、なにかを良くしようと努力しているのをみて

その姿が一番綺麗だなって感じます

全部が混ざらないようなバランスで、

終わりにならない途中の世界で

良いものを探し続けます



もし、自分は変わってないのに

周りが知って意識してくれることがあったら

その時、感謝出来ればそれで良いと思ってます

求めすぎず、与えすぎず

くれたものは、別のなにかで返す

そうできたら良いなって



ここまで読んでくれて、来てくれて

ありがとうございました




おしまい


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