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中欧旅行記⑬:プラハ

2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら
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中央駅に向かい、ウィーン行き夜行列車を手配。快適な寝台は高く、安価な座席は窮屈。友人の助言が脳裏をよぎる。

安全と快適は金で買える。

えいや、と寝台をゲット。ちなみに運賃が5,000円、寝台が4,500円。ホテル代を節約するための夜行だから、目的に適っていないとのご批判は否めない。が、夜行寝台の旅も一興だからヨシとしよう。

国立博物館から旧市街の入り口まで延びるバツラーフ大通りを歩く。この日は晩夏のお昼をのんびり過ごす御仁でにぎわっていた。青空と、カラッとした空気が気持ち良い。

バツラーフ通りは1968年8月、ソ連の戦車によって埋め尽くされた場所である。チェコスロバキアで穏やかに進行していた民主化運動「プラハの春」は、ソ連によるこの軍事介入により、終焉を迎えた。カレル大学のヤン・パラフが焼身自殺を図り、死をもって抗議したのも、この場所である。

この民主化運動の萌芽から終焉までを目のあたりにした日本大使館員が、その体験を元に綴った小説「プラハの春」。軍事介入の前夜、彼は友人の学生たちに次のように約束したという。

わたしは、少しでも多くのことを正しく知り、少しでも多くの人々に語り伝えよう。わたしは君たちの悲しみを死んでも忘れないよ。

ぼくにプラハという街を印象づけ、来訪させた一編。機会があったら読んでみて下さい。

旧市街をうろうろしたり、懲りずに道に迷ったりして午後が過ぎていく。お土産にボヘミアングラスを買って、最後にブルダバを目に納めるべくカレル通りを進む。一番来たかった街なだけに、やっぱり名残惜しい。カレル橋の袂の塔にのぼって、街並みやブルダバ川やプラハ城やら人の往来やらを眺めてた。

ブルダバ川は、プラハの街に寄り添うように、たゆたうように流れる。これまでも、きっと明日も、ずっと先も。いつかまた、この街と川の流れに会いに来たい。

駅のホールでビールを飲みながら、夜行の出発を待つ。時間がきたのでウィーン行きの列車へ。肝心の寝台は、なんとこぢんまりした個室。ゆっくり休めそうだ。ひげ面の車掌さんもいい人だ。


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夕ごはんの前のすきっぱらに、いい具合に冷えたエールビールを流し込むと、至福はココに極まれり。

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