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中欧旅行記⑦:ワルシャワ~クラクフ

2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら
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本日はクラクフに向かう。ワルシャワがとてもいい街だったので、もっと滞在したかったかといえば、そのとおり。クラクフにも期待したい。

切符を手配してから1015出発まで、地下街をうろつく。浮浪のおっちゃんが通路に寝ころんでいたりして、このあたりの治安が悪いってことに納得。

電車のコンパートメントは6人用で満員。クラクフまでの3時間を、車窓から景色をぼけぼけ眺めて過ごす。なだらかな丘にうしさんとかうまさんがおって、とても長閑だ。車内で昼ご飯代わりに食べたのは、ポーランド名物の「ぽんちぇく」というパン。砂糖をまぶしたドーナツの中には赤いジャムが入っており、甘くて薔薇の香りがした。気に入った。

クラクフ駅は客引きだらけだった。「ほすてる~ほすてる~」「ぐっどれーとちぇんじまにー」。豪儀なものである。特に相手にすることなく駅の目の前にある☆☆☆ホテルへ。ポーランドでは浪費を楽しむのだ。ぐへへ。

フロントで尋ねると普通の部屋は一泊10,000円だが、裏手の別棟なら風呂トイレ共同で3,000円だという。めっちゃ安いやん!ということで即決め。この「裏手の別棟」が後に役に立つことになる。

石畳の街は趣深いのだが、ずっと歩き回っていた足には少々ハード。この日は行動範囲を狭くして、まったり楽しむことにした。まったりついでに昼からビールを飲む。TYSKIEという銘柄、うまい。オープンテラスで明日の計画を立てたり、これまでの旅行記をつけたりしながら、午後のひとときを過ごす。

足が痛いとか言いながら旧市街をウロウロしたのち、ちょっと早い夕ご飯はピエロギというポーランド風餃子を食した。あっさりとうまい。安い値段でこんだけうまいものが食えるなんて、ポーランド最高。

ホテルに戻ろうとしたところ、道行く若者に「時間を教えてくれ」と声をかけられた。教えてあげると、日本から来たのか、日本には行ったことがあるという。流暢な英語だ。立ち話をしていたが、せっかくだからちょっと話そう、と誘われ一緒にビアホールに行くことにした。

彼は名をピエトルといい、歯学部24歳、ハゲ、家は歯医者、愛車はワーゲン、要するにボンボンのハゲである。せっかくなので、ポーランドのことをいろいろ教えてもらった。彼から得た有益な情報は以下のとおりである。

「ヴェリチカ岩塩採掘場はすばらしい。ぜひ行ったほうがいい。」
「ポーランド人は強い酒が好きだが、朝から飲むと吐く。」
「ポーランド女性はbeautifulなのではない。sweetなのだ。」

(;´Д`)=3 スウィート…

小一時間は話していただろうか。楽しかった。しかし徐々に雲行きが怪しくなってくる。ヒロシ、日本円は持っているかぜひ見せてほしい、ヒロシ、現金はユーロなのかズウォッティなのか、ヒロシ、日本からいくら持ってきたのか。何かと加えるのが

「believe me, we are firend!」

である。お、おう。しかしピエトル、旅行者のお金に妙に関心があるんだね…。なんだか心配になっちゃうなあ。「眠くなってきたし帰る」というと

「そうか残念だ、自分は今から友達と飲みに行くから、ヒロシよ、30ズウォッティほどクレ」

なに言ってんだこいつ。いまは持ち合わせがないことを告げて、店を出る。楽しい時間には違いなかったので、ビールはおごってあげた。が、ピエトルはどうやらホテルまでついてくるつもりだ。

「ヒロシ、我々は友達だ、20ユーロ貸してくれ。玄関で待っているから取りにいってほしい。明日返すよ、ホテルの前で待ち合わせしよう。」

これあかんやつや。いわゆる寸借詐欺である。単位もいつの間にか変わっている。このまま話していても埒が明かないと思い、奴をホテルの正面で待たせた上で裏口から出て「裏手の別棟」にげっといん。撒いてやったぜ。そうとは知らず、ピエトルは寒空の下で金づるのアジア人を待ちぼうけ。建物が違うとは思うまい。気の毒だとは思うが、ピエトルよ、日本人はみんなアホなお人好しかと思ったら間違いである。


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