親の思いが凶器になるとき

わが家の息子は小学校3年から少年野球を始めて、中学3年の6月、引退を待たずして野球をやめた。

チームメイトから浮いていたこと、指導そのものに疑問を持ったことなど理由は数々あれど、結局は野球そのものが嫌いになってしまったことが一番大きい。

ではなぜ「やってみたい、楽しそう!」で始めたはずの野球を嫌いになってしまったのか。その理由を書こうと思う。

小学生の段階で行われる「選別」

入部した少年野球チームは地元の学童野球クラブで、規模もさほど大きくなく強豪でもない、いわば平均的なチームだった。

1つの学年ではメンバー9人がそろわない程度の人数という感じだ。

入部したてはルールもわからず、なんか面白そう、やってみたい!バットでボールを思い切り打ってみたい、そんな気持ちだったと思う。

どんなスポーツでも試合や発表の場がなければモチベーションは上がらない。5年生になっても6年生になっても息子は試合に出してもらえなかった。

来る日も来る日も練習練習の日々。学校が終わってナイターは週二回、体育館練習が週一回、その他に少しでも上達したいと週一度のバッティング教室にも通い、体操の習い事もスイミングもやめた。

いつのまにか「やってみたい」「できるかも」という気持ちはしぼんで、息子の顔には悲壮感が漂っていた。練習も夕方から夜間で、平日は通常の時間に夕食を取ることもままならない。

それでも試合になればベンチを温めるだけ。朝から夕方まで一日中遠征に付き合い、することといえばベンチに座るだけ。練習にさえならない。

一週間は野球漬けで過ぎていき、本来の小学生ならあるはずの「友達と遊ぶ」「いたずらをする」「駄菓子屋でお菓子を買う」「ゲームをする」などあらゆることへの「経験」も不足していった。

こんな風にして結局試合の経験がないまま卒団の時期となった。

自信喪失の中学時代

中学に入り部活を選ぶ段になると息子の心を占めていたのは「今さらほかのスポーツを選べば今までの時間が無駄になる」という一点だけだった。

そこには「野球が好き」「楽しい」などの感情は一切なく「今さらやめられない」という悲壮感しかない。

そもそも親である私も、野球を強制こそしないものの当然野球部に入部するだろうという気持ちがあったし、うちの子は野球しかできないという変な思い込みもあった。親子ともども野球に費やした膨大な時間がこの呪いを生むのだと思う。

親がそんな調子であるから息子はとても苦しかったろう。今にして(呪いが溶けた今となっては)思えばなぜあの時「好きなことをやったらいいよ、楽しいと思えることを選びなよ」と言ってやれなかったのか。「もっとたくさんの経験をするべきだよ」と、なぜ言ってやれなかったのか。

そんなこんなで野球部に入部したが、そもそもモチベーションなど持ちようもない。あるのは「今度も補欠だったら・・・。」「それでもやるしかない」という悲壮感だけ。

案の定、息子は補欠。もはや何が息子を動かしているのかわからない、日々のきつい練習の中で表情だけがなくなっていた。

そのころ学校でも息子の異変は出ていた。教室の入り口で固まったまま動けず一日中立っていること。渡り廊下の手すりから身を乗り出し脚をかけ呆然としていたこと。

小学校の頃は仲良くしていた野球部員とも距離ができ、ほとんど口もきいてもらえない。

たしかに、息子は非常におとなしい性質でコミュニケーション能力にも問題があったんだろう。でも小学生のうちから同学年で一人だけ試合に出してもらえないことによる格差も確かにあったと思う。

何度心理カウンセラーのお世話になったか。そのころにはもう部活が彼の自尊心をことごとく奪っていることは分かっていたから、退部の選択肢があること、道は自分で選べることを常に言っていたけれど、息子自身決断ができなかったんだと思う。

野球にも人生にも自信を無くしてしまった中学時代だった。

軟式野球クラブチーム

ちなみに息子は中学入学とともに地元の軟式野球クラブチームにも入部していた。少しでもうまくなりたいと息子が下した決断だった。

あくまでも部活優先のチームため、試合の日程なども中体連の大会と被らないよう組んでおり、部活内でもそのクラブチームに所属しているのは息子含め2人だけ。

部活の他にやっているわけだから、硬式野球は高校からと決めている軟式野球ガチ勢がいるチームである。

このチームの子たちは本当に上手で、試合なども見ていて気持ちがよかった。息子も自分は出られなくてもプレーを見ているだけでワクワクすると言っていた。

しかもこのチーム、実力で劣っている息子を必ず試合の中で起用してくれる。たとえ1打席でも、バッターボックスの息子の顔は勇ましく輝いてた。

自分なりに反省点を踏まえ、次につなげることを目標としていたから。

思えばここだけが息子のプライドを保ってくれた場所なのかもしれなかった。

「試合に出ることがすべてじゃない」は大人の言い訳

ここまで書いて野球民の方々はこういうだろう。試合に出ることがすべてじゃないと。

私はそれは違うと思う。義務教育下の公立学校では、出来の良い子と出来の悪い子が同じ条件下の教室で学び、同じ授業を受ける。

どんなに授業を妨害しようが、どんなにテストの点が悪かろうが、テストで自分の実力を測るチャンスは等しくあるはずだ。テストの出来は自己責任だがチャンス自体がなくなることはない。

学校の平均点が下がるからお前はテストを受けるな、なんてことになれば大問題だろう。

義務教育下で教育の一環であるのが部活動ならば、経験の格差を作るのはおかしいと思う。経験の格差はクラブチームにでも入って思う存分体験すればいいじゃないかと思うのだ。

部活の顧問の先生がクラブチームのまねごとをして勝ちにこだわるからおかしなことになるのだ(教師の働き方の問題はこの際別問題として)。

教育の一環であるはずの部活動で子供が自信を失っていくなんてことは本来許されないのである。

公立の学校の部活動の最終的な目的は、スポーツの楽しさを知り、スポーツを通して自己実現を図り、生涯スポーツに親しむ健康な国民を育てることだ。その部活動で生徒を選別することはあってはならないのではないだろうか。

そんなことはしかるべき場所でやるべきことだ。クラブチームにしろ何にしろ勝ちにこだわる場所はいくらでもある。部活動がそういう場であってはいけない。指導者が作り出しているのはただの「経験の格差」なのだから。

息子の部活ではレギュラー陣がバッティング練習している間、補欠はひたすら盗塁の駒として動く。練習メニューも別。レギュラー陣の打った球をひたすら下級生と拾う。指導者は補欠組の練習なんぞ見てはいない。

一度補欠になるとレギュラー陣の育成しか考えておらず、とにかく這い上がるチャンスがない。これが絶望の理由だった。

子供にとって試合で実力を試すことは唯一の褒美であり、大人でいえば給料と同じようなもの。いくら教育に情熱を傾ける先生でも無給でいいという人はいないだろう。試合がすべてといっても過言ではない。

一所懸命に練習しているのならば、どの部員も試合で現在の実力を試し改善点を見つけ、試合の臨場感を自分事として体験する権利が当然ある。それをないがしろにされているのだ。

(ここではベンチで声を出して一緒に戦うなどというアホなきれいごとには触れたくもないので割愛)

「試合がすべてではない」なんてきれいごとは、勝ちたい大人が生み出した補欠を正当化する勝手な言い分だ。大人はずるいからこれを言えば子どもが黙ることを知っているのだ。

義務教育の部活が本当にこれでいいんだろうか。なにか勘違いしていないか?大人のためのスポーツになっていないか?

そんな疑問一杯の中学時代だった。

或る日ふっとキレた息子

6月のとある日、試合から戻ってきた息子がいつになく晴れ晴れした顔で言った。

「かあさん、野球部やめることにした。もう十分。受験に専念したい。」

いい意味でキレたな、と思った。息子は自分をやっと許せたのかもしれない。

すぐに賛成してその日のうちに退部を申し出て、顧問の先生には長い手紙で退部の理由、これからのこと、部の活躍を祈念していることを伝え、息子もそれを持って顧問のところに行き気持ちを伝えた。

卒部まであと少しだったし、今やめたら内申点も影響するかもしれなかった。しかも卒業アルバムの野球部の写真にも写ることができない。

それでも息子の決断に全面的に賛成した。

その後、息子は志望校に無事合格。

現在は初めてのスポーツに取り組み、全国大会を目標に楽しく頑張っている。

親はよく見極めて

この記事を書いた一番の理由は自戒を込めてだ。

あるスポーツを長くやっていると、本人よりも親が熱い想いを抱いてしまうことがある。

親自身の費やした時間や労力が大きい場合はなおさらだ。そして苦しかった時期、うれしかったこと、きつい練習など子供が経験したさまざまなな思いを自分に重ね、まるで自分事のように共有してしまう。

しまいにはきつい練習で心身ともに疲労しているわが子を誇らしく思うようないびつな感情が生まれてしまう。

でもそうじゃない。日本のように一つの経験に集中しすぎるようなスポーツの在り方は異常だし、子供が心身共に疲弊することがよい発達を促すわけがない。

だからよく観察してほしい。そのスポーツは子供にどんな影響を与えているか。

親は無言でプレッシャーを与えていないか。子は親の喜ぶことを敏感に察知する。だから親の思いが凶器になってはいけない。

うちの子は好きでやっていると思っても、いま一度よく見てあげてほしい。他のスポーツや、それ以外の無限の可能性をつぶしているかもしれないからだ。

息子は現在のスポーツを始めてから「初めて人に必要とされた気がする」と言っている。

事実、水を得た魚のように着々と上達し、指導者に期待してもらえる立場になった。

小中時代、あの下を向き暗い表情をした息子を探してみてももうどこにもいない。

そんな息子を見ると日々幸せを感じると同時に、どうかどうか同じような思いをする子供が一人でも減ってほしいと日々願うばかりである。



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