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写真を撮る理由について☺︎
どうして写真を撮るのか?
この質問に昔の私は答えられなかった。
私は小さい頃から写真を撮る事が好きだった。
四角の中に自分の切り取りたい構図を考える。その動作に夢中だった。
大学生になって、友人に合わせて入ったバスケサークルがなんだかしっくり来ず、1人で写真部に飛び込んだ。
当時の写真部の主な活動はフィルムカメラで好き好きに撮影し、暗室で自身で現像する。
それを木製のパネルに水張りして、展示会で展示をすることだった。
私は撮る動作事体は好きだったので参加頻度も高く、すぐに写真部に馴染むことができた。
また、毎シーズン撮影会や合宿があり、行く先々で撮影していくので提出するものは沢山あった。
あれは夏の展示会の頃。
北海道の広大な土地の真ん中に3歳くらいの少女が1本のひまわりを持っている写真を私は展示に選んだ。
客観的には見ていて気持ちの良い、清々しい写真だった。
少女が何を考えているのかなど、考察することができるような写真でもあった。
でもどうもスッキリしない気持ちがあった。
展示会に来てくれた友人になんでこの写真撮ったの?とかどんな気持ちで撮るの?と聞かれて特に答えられず、あやふやに答えていた。
構図が良いものを撮ったり、曖昧な偶然性を楽しんだものを撮ったり、本当に沢山の写真を撮った。いま振り返ると感覚的に動き回って色々なものを撮影していた。
何枚撮影しても、何枚写真を焼いても、なんだか満足できない。
この時のスッキリしない気持ちが卒業まで続いた。
大学を卒業して、私はアパレルの会社に入社した。
店舗で服を売る日々。
店長になって忙しくなっていく中で、仕事終わりの夜中に同僚や同業の友人と集まるのが何よりの楽しみになっていた。
その集まりの中でもいつも、無意識に写真を撮っていた。
そしてある時、ついに気がついた。
なぜ写真を撮るのかと考えた際に、目で見たシーンはもちろんの事こと、加えて感情を切り取る事でまたいつでもその時の気持ちを思い出せるようにと写真を撮っていたのだ。
要は心が動かされた瞬間に、その気持ちごと写真に納めたくなるということだ。
それは絵的に、わぁ綺麗!と撮るものもあれば、目の前のマグカップを前に考えていたことを記録するための、他人が見ても何撮ってるんだろう、となるものもある。
ただ、気持ちを振り返るのには写真が1番なのだ。
それでは文字や動画はどうだろう。
よくよく考えると、私にとっては明確な違いがあることに気がついた。
文字は、頭の中を整理したい時などに用い、基本ポジティブに振り返りたいと思って書くことは少ないのだ。ずっと頭の中で練っていた言葉であったり考えであったり、なかなか眠れない時に考えていたことなどが多い。どちらかというと過去に向けてが多いことに気がついたのだ。
また、動画の撮影は私にとって記録という表現が1番適している。振り返るとそこに感情が入る事が私にとっては少なかったのだ。もちろん、写真と同様に感動し、その対象が音で1番残したいと思った時は動画で撮影するのだが、そこに瞬間を切り取った時ほどの感動の爆発感はなく、割と無心で撮影していたのである。
この事に気づいてから、私は自分の潜在的な感情の変化に気付けるようになった。
写真を振り返れば、撮影時の気持ちに立ち返ることができるのだ。これを綺麗と思った、この時この人が何と言っていた、そんな事を細かく思い出すことができる。(悲しいことに、その時感じた悲しいことや邪念までもが記憶に記録されており、写真で見事に蘇る。)
シャッターを押した時、その時に私の心が動いていて、その行動と感情は誰にも邪魔されない。
ほんの些細な感情の変化を記録するため、今日も私は写真を撮っている。
その感動や、写真から伝わる静けさや空間の広がり、個人的な感情までをありありと伝えることが出来たら、、そんなこともたまに思ったりする。
感覚的な動作を論理的に説明できたらと思って、ずっと考えていたことを、文章にした。
以上。
2022/4/5
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