大学生が最近得た知見をつれづれなるままに
こんにちは、ゆずです☺︎
お久しぶりになってしまいました。
将来設計について多感な時期なので、
"大人"の定義や、理想の人間像、、、
とりとめもなく自分の価値観を壊しては確立する毎日が続いております
今まで自分が経験則に基づいて掲げてきた信念は、
果たして社会で通用するのか、不安なのかもしれません、、
堅苦しい哲学チックな人間なもので、最近得た知見を羅列したい衝動に駆られました
誰かの何かになれば幸いです
①簡単に縁は切れる
初っ端からネガティブな内容ですが、幼少期の価値観を裏切ったので衝撃でした
沢山の思い出を重ねた親友や恋人であっても、ふとした瞬間に、実に些細なきっかけで、縁は切れるみたいです
今までは、年月に比例して信頼関係が増していき、絆を強くしてくれるのだと信じて疑いませんでした
しかし実際には、環境の変化に伴って、少しずつ個人の価値観は変わっていきます
優先順位も時間の使い方も生活リズムも、何もかもが微妙に変化していきました
"◯年一緒にいるから私たちは大丈夫"
なんて考えは綺麗事に過ぎず、人生の儚さを思い知った次第です
②刺激を求めるのは想像以上にリスキー
安定はつまらなくて嫌いだ、と思っている方は一定数いらっしゃると思います
当の私自身(HSS型HSP)も、変化のない環境には満足できませんし、ダメだと分かっていても挑戦したくなる生き物です
今までは、それで良かったのです
むしろ、そのバイタリティが評価されてきたので、行動力や度胸は長所に感じていました
しかし、雲行きが怪しくなってきた最近の日常です
公務員に羨ましさを感じるようにもなってしまったし、
何事においても、刺激を捨てるメリットに気づき始めてしまいました
また、自分が刺激を追い求めることで、大切な人を傷つける現実にも直面しました
しかし、用意してもらった安定的なレールに乗ってみても、
その心地良さがかえって自分らしくないような、
どことなく物足りなさを感じてしまう自分がいるのも事実です
どこで折り合いをつけるべきか、もがく毎日です
③隠し事とウソはうまく扱う
誰に対しても、いつ何時も、素直で正直に振る舞うことで、自分がすり減っていくことを学びました
自分が他人に注いだ愛情はいとも簡単に裏切られるし、
誠意を持って行動したとしても、他人は都合よく解釈して、自分をよく見せる道具に利用してくることだってあります
これが現実なのだと、思い知った最近です
自分が生きやすく生活することを最優先に考えると、隠し事やウソは、ある程度必要なことに気がつきました
最近は、自分を守るための手段として、うまく付き合っていくようにしています
勿論むやみに使ってはいけない存在なので、扱い方には十分注意しなければいけません
隠すと決めたら墓場まで持っていくつもりで貫き通しますし、
それを暴露するのは、自分が罪悪感から解放されて楽になりたいというエゴだと念頭に置くようにしています
どんなに心を開いて信頼してる大切な人に対しても、この考えは同様です
"言わなくて良いこと"の存在を認めるようになってきました
さいごに
考え過ぎなのかもしれませんが、考えれば考えるほど、器用に生きたいと思うようになりました
自分がなりたい人間像が明確になってきましたし、
自分の中に閉じ込める感情も増えてきました
感情をそのまま表現していた昔の自分はいなくなってきて、
一旦自分の中に閉じ込めて、感情を加工してから外に吐き出すようになってきました
理想の人間像になるために、少しずつ感情の扱い方を変え始めました
自分が変わっていくのが楽しみで仕方ありません
今は、誰にも言わずフラっと消えてしまうような、そんな儚さに惹かれています
締まりが悪いですが、ここら辺で。
またお会いしましょう
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