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運と努力の境界線


学業で結果を出した時、これは運なのか、それとも努力によるものなのか、長年葛藤してきました。

20年の人生で得た知見を、ここに認めます。


努力量と結果の相関性

"成せばなる" "努力は裏切らない"

日本で生活をしていると、やたらと努力を美化するフィルターがかかってしまうことに気が付きました

謙虚につつましく、地道に努力を重ね、その成果が実を結ぶ

このような流れが自然で美しく、綺麗で理想的なものであると、思い込んできました

しかし、この考え方には、1つ盲点があることを見つけてしまいました

例えば、自分が何かにおいて結果を出したとき、それに見合った努力をしていなかったとします

私の場合ですと、資格試験や大学のAO入試、ビジネスコンテストなどがこれに該当します

自分では努力をした実感がないまま、成功を勝ち取ってしまうと、ずるをした感覚に陥ってしまうのです

喜ぶべきはずなのに、なぜか不安なのです

しかし、それを周囲に打ち明ければ、ただの自慢話、つまりは嫌味のように捉えられかねません

嬉しいのに嬉しくない

どうしていつも、自分は勝ち組ルートを辿れているのか、怖くて仕方ありませんでした

努力をしていないから、成功を誇ってはいけない

これはまぐれで、たまたま運が良かったに過ぎない

そんな考えが、染み付いていきました



運も才能のうち

思い切って、この葛藤を打ち明けた相手がいます

私の考えを受け止めてくれる、信頼の置ける知人です

"運は才能であり、努力の積み重ねである"

これが、彼の見解です

いまいち納得しきれない私に、彼はこう言いました

「元気よく挨拶をしてくれる清潔感のある人と、

いつも無愛想でパジャマみたいな私服ばかり着ている人を比べたら、

間違いなく前者の方が周りから声をかけてもらえる回数は多いよね。

それは、会話の内容はくだらないかもしれないけど、

新しいプロジェクトの誘いだったり、BBQの誘いだったりすることもある

そのお仕事や、人脈の広がりが、その人の人生を成功に繋げるかもしれない

だけど、清潔感のある人は、必ず努力している

毎日髭を剃ったり、シャツにアイロンをかけたり、肌に気を遣った食事をしたり…

一見すると、ただ運がいいだけって思いがちだけど、間違いなくその人がした何かしらの努力の結果なんだ

つまり、運をつかみとるのも才能の1つなんだよ」

まさに、目から鱗でした

今までは、自分に才能があると思い込んで、

自意識過剰になった末に、足元を掬われるのが怖くて仕方なかったのですが、

どこか腑に落ちた気分でした


才能の使い道

私の人生で、運という名の才能で勝ち取ってきたもので、代表的なものが"進路選択"です

高校入試では、夏までは全く勉強せず、本格的に受験勉強を始めたのは11月後半でした

私立は1月、公立は2月に試験当日を迎えるので、おかしな話ではあります

しかも、私立においては、殆ど対策をせずに臨み合格、公立に関しては模試でS判定を取り続け合格

正直、自分で思い返しても、嫌味でしかありません

大学入試に関しても、1週間前に見つけたAO入試に飛び込みで受験、

3回しか書き直していない志望理由書が通り、面接も合格

しかも、直前の控え室で、1人だけ呑気に旅行の思い出に浸っていたので、不思議で仕方ありません

そんな私に、またもや進路選択が迫っています

来年は大学4年生、本来であれば就活を始めるべき頃合いなのでしょうが、毎日葛藤しております

もう、運を使った成功は充分すぎるくらいに得てきました

これからは、目に見える努力で、生きていきたい

そう考えるようになりました

賛否両論ありますが、納得のいく決断を下したいと思います


またお会いしましょう。

有難う御座いました☺︎

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