見出し画像

「だがしの日」に振り返る「おばあちゃんの駄菓子屋」まだスマホがなかった昭和時代回顧

本日3月12日が、だがしの日ということで、駄菓子屋にちなんだ思い出をひとつ。

僕は京都の田舎で生まれ育ったのだが、まだその頃、多くの自然が残されていた。

僕の実家は新興住宅地にあり、森が切り開かれ次々と家が建つようなタイミングでその頃の日本がまだ豊かった。

小学校低学年まで、実家から離れた場所へ通っていた。こちらをA小学校としよう。そのあと、児童の増加で新たに小学校ができた。こちらはB小学校。僕は途中からB小学校へ行くことになり、通学が楽になった。確か徒歩10分圏内だったはずである。

A小学校の近くは、昭和の街並みが残されており、歴史ある神社もいくつかあった。少し進むとうっそうとした森に囲まれる場所へ行き渡るような環境だった。

A小学校の近くに、80歳を超えたおばあちゃんが営む小さな駄菓子屋があり、学校から帰るとよくそこへ行って友達と遊んだものだ。

今、くじといえばコンビニのキャラクターくじを連想する人が多いかもしれない。

その中にジャンピングロケット弾というのがあり、


これを使って遊ぶのが楽しかった(地域によっては「ジャンプ弾」「ロケット弾」と呼ぶそうです)。

火薬をロケットに仕込み、道路で頭上高く投げると、道路に叩きつけられた衝撃で火薬が破裂するというもの。

近くの住民は迷惑だったと思うが、そういった喧噪が許される牧歌的な時代。

小柄なおばあちゃんとかわす何気ない会話も楽しく、至福の空間だった。

その駄菓子屋を、中学生になった頃に訪れるとCAPCOMの「ファイナルファイト」や「ストリートファイターⅡ」の筐体が置かれ、様子が様変わりしており寂しさを覚えた。

おばあちゃんの年齢もあったのだろう。それから間もなくして、その駄菓子屋は閉店した。

僕の感性を育んでくれたのは、昭和の時代だと確信している。

この頃にたくさん自然や生き物、レトロなものに触れた経験が今でも息づいている。

最近は、全てがスマホで事足りてしまうので、ある意味で広がりがなくなってきているかもしれない。

今年は「いかにスマホから距離を置いて、自分の五感や身体を活用できるか?」を意識している。

スマホがないと暮らせない時代になっているが、スマホがなかった頃の幼少期に宝物のような思い出がたくさんあるのもまた事実である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?