HSP哲学者

自分はHSPなのかもしれない。そんなことに気づいた人が気まぐれに自分の話したいこと・考…

HSP哲学者

自分はHSPなのかもしれない。そんなことに気づいた人が気まぐれに自分の話したいこと・考えたことをただ吐き出してみたい。そんなアカウント。趣味は競プロ、読書、ゲーム、ポケカ、時々MtG。好きなものはお酒、本。

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自分はHSPであり、「繊細さん」なんだと気づいた。

きっかけは一冊の本だった。  読んで、実際に自分が「繊細さん」なのかどうかの診断をしてみたら、思った通りおれは「繊細さん」、英語で言うとHSP(Highly Sensitive Person)というものらしい。  昔から周りの人が怒られているだけでとてもしんどかった。  人と居るだけで疲れることが多かった。  周りの人の気遣いのなさに疑問を持つことが多かった。  自分の気にしすぎだと思っていたけど、違った。これはそういう体質なんだと知れて、とても気が楽になった。自分

    • 本当に楽しいことを楽しいと思うこと。

       なんとなく昔から、「周りの自分への目」を気にし過ぎていたHSPのおれ。周りに適応した結果、癖になってしまった思考のルーティンは数知れない。そんな中の一つが「自分は楽しいと思うけど、世間的にこれは楽しくないものなんだから、楽しいと思うのは勘違いだ」という思考だと思う。  おれは20代半ばだが、カードゲームが好きだ。主に好きなカードはマジック・ザ・ギャザリングで、最近はポケモンカードにも興味がある。カードの絵柄の美しさにも心惹かれるし、何よりやっていて楽しい。楽しいからある程

      • 女系天皇と旧皇族と。日本と。

        はじめに この記事は、個人的に女系天皇を容認するべきなのか、旧皇族の皇籍復帰を許可するべきなのかという論争についての、自分の思考を書き残すためのものだ。参考になりそうなサイトのURLを残し、自分が見直すことを主目的にしたのものだ。それと同時に、これが誰かの参考になることがあれば、とても嬉しく思う。  これははっきりと最初に言っておきたいが、おれ自身は天皇家の相続問題に関してはどちらの立場にも立っていない。すなわち女系天皇を容認すべきか、それともしないべきか、に関しては中立の

        • 人生に意味を与えるもの。【モリー先生との火曜日】

           知り合いに勧められて「モリー先生との火曜日 (原題:Tuesdays with Morrie)」(ミッチ・アルボム:Mitch Albom 著、別宮貞則 訳)という本を読んだ。  いろいろ感じること、思うことがあったけど、印象的な言葉をいくつも与えてくれる本だった。いくつかの言葉を引用して紹介しつつ、自分が感じたことを文章にしていきたい。 愛すること。「人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれることを創り出

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        自分はHSPであり、「繊細さん」なんだと気づいた。

          自分はいじめられるべき人だと思っていた。

           いじめられるべき人なんていない。  「いじめられる側が悪い」なんてことはない。  悪いのはいじめる側だ。  世の中に溢れているのは、いじめられている人に「あなたは悪くないんだよ」と勇気づける言葉。  そんな言葉は全部、嘘だと思っていた。  自分は、いじめられるべき人間だと確信して生きていたから。自分みたいに気持ち悪くて、いるだけで周りを不快にして、いいところなんて何もない人間は、周りからいじめられて当然だと思っていた。自分は人間の劣等種で、存在する価値もない人間で

          自分はいじめられるべき人だと思っていた。

          コロナで分かった、考え方を知らない世の中。

           コロナにかかった人への誹謗中傷や、その人の住む家に石を投げこむなどの事件が起こっている。おれには何故そんなことができるのかが分からない。「自分がもし、コロナにかかった」時のことを考えるからだ。そんなことをして自分がかかった時に、周りに何をされるのか分からないからだ。  どうもそういう行動ができる人間は「もし自分がコロナにかかったら」という「考え方」を知らないようだ。  昨今、簡単にデマが広がっていく。「マスクだけでなく、トイレットペーパーなんかの紙もなくなるらしい」とい

          コロナで分かった、考え方を知らない世の中。

          おれなんて、生まれてこなければよかったのに。

           いつからだろう。おれが生きているだけで、周りを不快にさせる存在なんだと思うようになったのは。  昔から「人の気持ちを考えなさい」と教えられて育ってきた。一生懸命に周りの人の気持ちを感じ取り、考えた。今思うと、感じ取り過ぎていたんだろう。当時からおれは「繊細くん」だったのかもしれない。  周りに「気持ち悪い」「うざい」「死ね」なんて言われ始めた。軽度の肥満で、授業中に積極的に手を挙げて、テストの点はいつも100点みたいな小学生が、そういう対象になるのは今思えば当然のことだ

          おれなんて、生まれてこなければよかったのに。

          ノーマスク運動とか言うものにメリットはあるのか。

          はじめに  今日、山手線にノーマスクで乗車して一周した集団がSNSにその活動を報告し、話題になっていた。驚愕し、なんと危険な行動をとるのか。世間の迷惑だ。感染が広がったらどうするんだ。なんてことを最初は思った。  炎上しているSNSで何を焦点に議論されているのか、少しだけ見てみた。マスクに感染予防効果があるのか、そもそもコロナにおびえる必要があるのか、感染しているが無症状の人間から感染することがないのか、なんてことがSNSで議論されているのが散見された。  しかし、おれが

          ノーマスク運動とか言うものにメリットはあるのか。