おれなんて、生まれてこなければよかったのに。

 いつからだろう。おれが生きているだけで、周りを不快にさせる存在なんだと思うようになったのは。

 昔から「人の気持ちを考えなさい」と教えられて育ってきた。一生懸命に周りの人の気持ちを感じ取り、考えた。今思うと、感じ取り過ぎていたんだろう。当時からおれは「繊細くん」だったのかもしれない。

 周りに「気持ち悪い」「うざい」「死ね」なんて言われ始めた。軽度の肥満で、授業中に積極的に手を挙げて、テストの点はいつも100点みたいな小学生が、そういう対象になるのは今思えば当然のことだろう。いつしかおれの思考は「自分が生きていること自体を、周りの人は不快に感じている」という結論を出していた。

 あの頃、自分の頭を殴ったり、硬いものにぶつけていたりよくしていたと思う。きっと、「おれは頭がいいせいで、周りの人を不快にさせている。だから、おれはもっとバカになるべきだ」と思って、叩いていたんだろう。

 当時ピアノ教室に通っていたが、うまく弾くことができない度に、自分の手を逆の手で叩いていたと思う。親に金を出してもらってまでやっているピアノなのに、ちゃんとできない自分に腹が立ったから。ピアノ教室に通わせてもらっている分、余計な迷惑をかけていると思った。

 「周りを不快にさせ、家族にも迷惑をかける自分なんて要らない」と思い、飛び降りようと柵に脚を乗り上げているところを、同級生に止められたのは小学4年生だったと思う。

 それからはもう分からなかった。「自分は生きていてもいけないし、死んでもいけない」という矛盾した二つの主張を突き付けられても、当時のおれには理解が追い付かなかった。

 そのまま歳をとり、中学高校大学と、友人に恵まれたと思う。楽しい学生生活であったと、胸を張って言い切れる程度には楽しかった。

 それでもその間も「生きていてはいけない自分に、優しくしてくれるいい友達」という認識は持ち続けていた様に思う。

 部活の仲間や級友に「ブサイク」というあだ名をつけられ、「整形した方がいい」「顔ぐちゃぐちゃだぞ」などと言われていた。それでも私は笑っていたし、「こんなブサイクで、面白いこともできない自分を、いじって面白くしてくれる。なんていい友人たちなんだろう」と思っていた。

 そして出来上がった「生きているだけで周りを不快にさせるブサイク」という自己認識は、まだ自分に根付いている。おれのことを「好きだ」と言ってくれた恋人も居た。それでも、おれはおれのことを嫌いなままだ。

 きっとおれがおれ自身に優しくできるようになるには、まず「自分のことを責める自分」を責めないようになるところから始めるべきなんだろう。「自分は辛い思いをしたんだ」と思えるようになり、自分を受け入れるところからが、自己受容の始まりなんだろう。

 そして何より、「自分のため」に生きることを始めないといけないんだろう。周りを不快にさせるどうかを気にせず、「自分の幸福」のために生きる。

 きっとそれが最終的に、「周りの人」も幸せにすることなんだろうから。

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