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ドーナッツの穴を探し求める日々①前段階 幼児期〜小学生の頃

こんにちは。HSPカフェ管理栄養士のにゅうでりです。

私は最近、自分の今までの日々を思い出していた中で
永遠に見つからないドーナッツの穴探しをしていた…
そしてまた今も別のもので穴を埋めてみようと試したくなっている
そんな状況だと思いました。

そして私の大切な人も、きっと同じような探し物をしているのではないかと察しました。
どうして見つからないものを探し始めてしまったのか
今までに何で埋めてみて埋まらなかったのか
これからドーナッツの穴は開いていることを認められるのか
ドーナッツはドーナッツだから良いのだと心から思える日が来るのか
答えは出そうにないけど、今まで探してきた旅路を綴ってみたいと思います。

この文章を書くことに決めた理由

何においても考えすぎてしまい、意味を見出せないことはできない私です。
自分のことを拙い文章で綴って意味があるのか?
文章の上手い人が自分の気持ちにすごく近いことを代弁しているのは
きっと探せばどこかにあるだろうから、それで十分なのではないだろうか?
そう思って、書いてみようとしては、やっぱり無意味だと思って止めてを繰り返していました。

日々見ている益田DrのYoutubeで、自分の過去を繰り返し語っていく中で
経験・思い出が知識・感情とちゃんと結びついていくのが大切と学びました。
私の出会ってきた、精神疾患と上手く付き合いながら生きている人たちも
自身の過去を客観的に見て、言語化して他人に話せる状態に自身の中で納得されているように見えます。

なので、文章が上手いとか、他に同じような経験をしている人はいるとか、誰かの参考になるかならないかとかは関係なく、私が私の今までのことを私の言葉で綴ることは、私にとって意味のあることなのだと考えて書きたいと思います。
私の辿ってきた道とその時の想いを知っているのは私以外には絶対にいないのだから。

ドーナッツの穴を探し始める前段階①~未就学児の頃~


いつからこの終わりのない探し物を始めてしまったのだろうか、過去の記憶を遡りました。

私は一人っ子で、母は私が3歳の時にうつ病になりました。その少し後に父が失業して転職し、家にいる時間はほとんど母と私の二人きりで過ごさなくてはなりませんでした。

体調の悪い母と過ごした中で鮮明に残っている記憶があります。
テレビでおかあさんといっしょでパンダうさぎコアラをやっていました。
それを見て自分もできるのを見て欲しかった、ただ、それだけでした。
でもそれは叶いませんでした。「うるさい!」と一蹴され、涙をこらえました。
あの日から母の前で本音は言えなくなっていきました。
常に母の体調とご機嫌を伺い、心配かけないようにしました。
自分の描く中での最高の良い娘を演じるようになりました。

4歳になり、幼稚園に年中から入りました。その後、ずっと色々な場面で周りっから変わっていると言われてきましたが、幼稚園の時点で既に友達に馴染めなかった記憶があります。
今思えば、ASDグレー的なところで、人との興味がずれていたのだと思います。
幼稚園には年少から既に入園していた子や、延長保育をしている子で仲良し同士がおり、そこには入れず、寂しい思いをしました。
母親もうつを患っていたのと元々の性格から、ママ友を作るのは苦手なタイプでした。なぜか男の子のママと仲良くしていることが多かった。そして親同士が一番仲良かったおうちは、小学校入学前に引っ越してしまいました。周りは家族ぐるみで仲良し同士のおうちが結構あったので、そういう友達がおらず、羨ましく思っていました。

ドーナッツの穴を探し始める前段階②~小学校低学年の頃~

小学1・2年生の頃は、同じ幼稚園から同じ小学校に行く子が多く、知っている子はたくさんいましたが、いじめられっ子でした。特に1人の男の子と、数人の女の子にいじめられていました。
嫌なことを嫌と言えなかったのと、活舌が悪かった、泣く姿が面白かったことなどがいじめられた原因だと思います。男子からの軽いものは筆箱を壊されたり、カラー帽子のゴムを引っ張られて首に傷が付いたり、物を隠されたり。女子からの陰湿なものは、トイレに閉じ込められて、便器に足を入れるのを強要されたり、下着を盗られたり…思い出してみると漫画のライフの世界のようでした。
物を壊されたり、傷跡が付いたりしたものは母にも知られてしまうので、母がその都度、担任と話してくれましたが、親や担任にチクったとされるようで、いつも嫌でした。女子からの陰湿なイジメは誰にも話せませんでした。

この頃には何人か一緒に遊ぶ友達がいました。家で過ごすのは退屈な時間だったので、友達の都合がつけば、友達と遊んでいました。でもこの頃も対等な友情を結べてはいませんでした。私は、小学校に入る前から、自分用のパソコンを買ってもらえていました。そして、使いこなせていました。当時は周りにはパソコンを使える友達はほとんどいませんでした。なので、私と遊ぶとパソコンで遊べる、それが楽しい友達が付いてくる、それを友情だと勘違いしていました。

とにかく女子同士のコミュニケーションが既に苦手でした。
今も変わらず、よく分かりません。
特別な親友にだけは好きな人を教えるみたいなやり取りがあったように思います。
これが上手くできずに(本当はもっと別のところに理由があるのかもしれませんが)私はなんとなく遊ぶ友達はいるけど、親友と呼び合える友達はいない状況でした。

ドーナッツの穴を探し始める前段階③~小学生後半 親友ができた~

小学校中学年になる頃、私をいじめていた、いじめっ子は、なぜかみんないつの間にか引っ越していなくなっていました。
クラス替えで素敵な先生のクラスになったことや、自分も周りも少し成長したのもあったのかもしれません。
親友らしき3人グループにも入れました。時々他のグループの子とも遊べていました。
残念ながら高学年になる時のクラス替えで離れてしまいましたが、楽しい時間を過ごせていました。

高学年になって、女子のグループはさらに大きくなっていました。
クラス内が2つのグループに分かれているような感じでした。
可愛い子たちのグループでは常に誰かしらがイジメの対象となり、メンバーが入れ替わっていて怖かったですが、平和なグループに属することができていました。
授業中に手紙を書いて回したり、マンガを借りて読んだり、女子のグループに馴染めるようになっていました。

そして、親友と呼び合える友達もできました。
遠足の時に2人でお弁当を食べたり、休みの日に2人で出かけたりできたのが、とにかく嬉しかった。
ずっとずっと永遠に友達でいられるようにと願っていました。
しかし、やっとできたたった一人の親友は、短期間で引っ越してしまいました。
電車で1時間ほどのところに引っ越したので、数か月に一度、遊びに行っていました。
夏休みにはお互いの家にお泊り会もしました。会えない期間は、ずっと文通をしていました。
手紙を書く時間、返事が来るのを待つ時間、それは本当に楽しいものでした。

中学生になる頃までは、離れていても変わらず親友だと思えた大切な友達でしたが、部活や勉強が忙しくなるにつれて、徐々にお互いの知らない世界が広がり、疎遠になっていきました。
何となくやり取りは続けていたように思いますが、高校に入るタイミングで彼女が海外に留学したので、そこで完全に途切れてしまいました。

そして中学生になり、いよいよドーナッツの穴探しが始まります。
前段階だけでとても長くなってしまいました。
お読みいただき、ありがとうございました。


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