感動を食い物にする人達と、感動に飢えている人達

感動ものの作り話をこしらえて、それに感動や共感した人からお金をだまし取るという手口は、昨今のSNS全盛期に限ったことではなく古今東西に共通して存在しています。

バブル景気の頃に流行した話題として「一杯のかけそば」という話がありました。アラフォー以上の日本人ならまず間違いなく覚えていると思います。改めてあらすじをここで書くのも野暮なのでウィキペディアの記事を貼っておきます。

一杯のかけそば
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9D%AF%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%9D%E3%81%B0

サラリーマンが一万円札をかざしてタクシーを止めていたとか、企業が内定者に旅行をプレゼントしていたような時代とは真逆のような内容ということもあって、ものすごく話題になりました。今のようにインターネットもSNSも無く、流行というのはマスメディア(テレビ・新聞・雑誌)と口コミだけで伝達される存在でしたが、その分、今よりも各人に流行が浸透する割合が高かったように思います。

非常に話題になったこの「一杯のかけそば」ですが、実話を元にしたというところに瑕瑾があり、さらに作者の不祥事も相まってあっという間に批判されるようになってしまいました。後になって思えば、実話云々を言わずに純粋な創作物として発表していれば良かったのにとも思います。創作物としていればつじつまが合わないところがあったとしても、それは創作物としての質の低さだけを指摘されるだけで終わりますから。ただ、創作物だとしていたらあんなにブームになることもなかったでしょう。

そうです、ここでの重要な点は、現実の話であったかどうか、ということであり、感動する話が実話であったとされた点がさらに感動を呼んだ理由でもあります。

例えば、私の好きなSF短編に「冷たい方程式」という作品があります。トム・ゴドウィンという、知名度の99%がこの短編で形成されているアメリカのSF作家によるものですが、これもウィキペディアのリンクを貼っておきます。

冷たい方程式
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E3%81%9F%E3%81%84%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F

星新一のエッセイでは、良い作品だが短編としても長く、もう少し刈り込んだらもっと良い作品になったというようなことが書いてありました。確かにちょっと長い気がしますが、それでも読後感はなんとも言えないものが生まれる名作だと思います。

この作品は当たり前の話ですが創作物です。そしてウィキペディアの記事にもありますが、当然ながら都合が良すぎるだろ、という批判もあったそうです。小説なんだから都合が良いのは当たり前だろうと思うのですが、ある程度短い小説であればスッと読めて読後感に違和感が残らないはずなんです。そういったところも星新一が指摘した「長さ」に問題があったのかも知れません。

話を戻しますが、昨年アメリカで、ガス欠で立ち往生して困っていた男女のために、近くにいたホームレスがなけなしのお金を使って助けたという話があり、SNSで一気に拡散して人々の感動と「いいね!」を集めましたが、こちらもあっという間に詐欺事件という結果となりました。

ネットで4500万円集めた米ホームレス向け募金、詐欺と認める
https://www.bbc.com/japanese/47479071

ここでの問題はただ単に「感動しました!」で話が終わらず、ホームレスのためにクラウドファンディングでお金を集めましょう、ということにまで発展したことでした。当然ながらそもそも嘘の話ですから、ホームレスを支援するために集めたお金を受け取って遊びに使ってしまえば詐欺罪が成立するのは言うまでもありません。

そういえば、日本でも募金詐欺が数年前か十数年前にありましたね。大阪駅前とかでやっていたそうで、ニュースで見たときには「あ、そういえば見たことある」と思った記憶があります。

こういった感動させる実話を創作(捏造)してしまうのはなぜでしょうか? もちろん、お金を稼ぐため、といってしまえばそれまでですが、それはお話しを作り出す側の論理であって、お話しを受け止める側はなぜ、受け止めてしまうのでしょうか?

「感動ポルノ」とか言われるような現象も同じ根っこだと思いますが、今現在それなりに生活が出来ていて、多少の不満はあれど明日生きているかどうか分からないような生き方をしているわけではない人にとって、極端な苦しい環境で暮らしている人のことを考えるのは精神的に辛いものがあります。

感動する話を見聞きすることで共感し、罪悪感にも似た感情を洗い流してしまう行為は、いわゆる「普通の人」にとって大きな魅力になります。なんとも世知辛い話ではありますが、感動話はそのために存在します。そして当然ながら、作り話と知って見聞きするよりも、実話だと思って見聞きした方がより感動は深まります。

罪悪感ビジネスとまで言い切ってしまうと語弊があるかも知れませんが、人々の罪悪感は、感動を売り物にしている人にとって一番重要です。そして、上記のアメリカのホームレスの話で言えば、話を見聞きして感動した人がクラウドファンディングを通して寄付することで自分の罪悪感を帳消しに出来たわけです。

もちろん詐欺である以上、非難以外にあり得ないのですが、何かあればすぐにネットで拡散する現代においては、同様の事例は今後も続くでしょう。今回の件はすぐに露見しましたが、証拠が残りづらいようなケースや逃亡が成功してしまうケースも出てくると思います。

こういったことが起こる条件としては、

・情報拡散が早いこと→SNSの存在
・経済格差が大きいこと→自分よりも辛い生活を送っている人がいることを知っていること
・経済全体が先進国であること→寄付が集まりやすい

ということになると思います。
アメリカ人がアメリカ人に寄付する分には物価格差はありませんが、発展途上国の人に寄付するとしたら物価の違いによってさらに寄付の価値が増大します。そしてそれは感動実話の捏造に対する動機付けにもなってしまうでしょう。もちろん、日本人にとっても同じことが言えます。

SNSで見知った感動話にクラウドファンディングで寄付をするというのは、
酷い言い方ですが、金で感動を売り買いしているようなものです。本当にそのお金が正しく使われるのであればいいのですが、正当性の担保がありません。騙された後で文句を言わないのであれば、いくらでも寄付しても良いかもしれませんが、それこそ反社会的勢力・テロ組織にお金が渡るかも知れません。苦しむ人がクラウドファンディングで寄付を募るというサイクルが悪人によって妨げられるのは残念なことです。

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