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ウクライナ大統領選挙とタレント候補と僥倖を願う国民

先日投稿した

「楽則能久」と「好きなことで、生きていく」
https://note.mu/hrsgmb/n/n1f7b5dce270b

この記事で、中国の古典である春秋左氏伝から引用しましたが、ウクライナ大統領選挙のニュースを見ていて思いだしたことがありました。

これも初読からずっと印象に残っている内容なのですが、今回も少し長いですが岩波文庫「春秋左氏伝 上巻」p.470〜471から引用します。

宣公十六年
1 十六年春、晋の士会は群をひきいて、赤狄の甲氏および留吁・鐸辰を滅ぼした。
 三月、狄の俘虜を周に献ずるに際し、晋侯(景公)は王に請うて、戊申の日、大夫の礼服を士会に賜わり、中軍の将に任命し、大傅を兼ねさせた。
 このとき、晋の国内の賊盗は秦に逃げ出した。羊舌職は言った。
「禹が善人を登用すると不善の人は遠ざかった、と吾は聞いているが、このような状態がそれなのだろう。『詩』に、
  戦々兢々として、
  深き淵に臨むが如く、
  薄氷を履むが如し。 (小雅 小旻)
とあるのは、善き人が[為政者として]上に在る状態を言ったものだ。善き人が上に在れば、僥倖を願う民はいなくなる。諺に、「僥倖を願う民が多いのは、国にとって不幸なこと」というのは、[上に]善き人がいない状態のことなのだ」

簡単に解説しますと、

大国である晋の君主が、士会という人物を自国の宰相に任命し、天下に知らしめたところ、国内の盗賊が士会による取り締まりを恐れて隣国に逃げ出した。それを聞いた晋の羊舌職という人が「正しく政治を行える善人がトップにいれば、悪い人は逃げ出すという言い伝えがあるが、今の晋国はまさにそのような状態で素晴らしい。そんな善人がトップとして政治を行っている国には、ありもしないような奇跡が起きて暮らし向きが良くなることを願う民衆などいないはず。逆に、そんな奇跡を願う人が多い国は正しく政治を行う人が上にいないということなのだ」と言った。

という内容になります。
晋の士会という人物は、伝説的な君主である晋の文公の護衛から累進しつつも、宰相の方針に異を唱えて隣国に亡命し、晋と戦うも逆に請われて晋に戻り、さらに出世を続けて人臣を極めた人物です。

宮城谷昌光氏の小説「沙中の回廊」の主人公です。興味をお持ちの方は是非お読みください。

沙中の回廊 上 (文春文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/416725915X/

もともと君主の護衛から始めた人ですから当然のことながら柔弱な人物ではありません。軍を指揮しても抜群に有能で、そんな人物が宰相として国家のトップにつけば生ぬるい政治をするわけないから、すねに傷持つ悪人が逃げ出した、という内容です。そして、そのような正しい政治が行われている国の民は過大な願い事などを持たずに平穏無事に暮らせるのだ、という主旨となります。

読んでみれば当たり前と言えば当たり前のことなのですが、ありそうもない奇跡を夢想しながら生きている人が多い国が正常な状態とは言えないでしょう。お金持ちは宝くじをわざわざ買わないでしょう。宝くじを買うくらいならかわいいものですが、政治・経済・外交・軍事といった国家レベルで奇跡を追い求めると大変なことになります。

ウクライナ大統領選、政治経験ゼロの人気芸人が現職リードし決戦投票へ
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/post-11911.php

そこで、昨今のウクライナの政治情勢の話になりますが、政治について全く知らない人が国家のトップになって欲しい、と願う人が多いウクライナは、不幸な状態と言っても過言ではないでしょう。クリミアをロシアに奪われ、東部地域は未だ混乱の中にありますし、経済状態も悪いです。EU加盟も少しずつ進んでいますが、正式加盟すればロシアの反発は相当なものになるでしょう。

ゼレンスキー大統領候補個人を、コメディアン出身だからとか、政治経験が無いとか非難するつもりはありません。むしろ、国民に対して彼のような人物を推す気にさせてしまったこれまでの政治家達の方に責任があります。「既存の政治家はみんな同じくダメだ!」という気持ちがあるからこそ、ゼレンスキー氏を支持するようになります。

日本の政治にしても、芸能界やスポーツ界出身の議員や首長とその支持者は、とかく非難の対象になりやすいですが、票目当てだけで彼ら彼女らを担ぎ上げてくる既存政党、あるいは有権者に「ありそうもない奇跡」を夢想させてしまう既存の政治家達の方により多く責任があるはずです。

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