かつて「天」を祀っていた中国において、「天」を代行しようとする共産党政府

古来、中国には「天」を祀る思想がありました。

天とは空の彼方というだけではなく、自然の摂理であり上帝として万物を主宰する存在でもありました。人間からすれば天は畏れの対象であり、自らの行いを把握され、賞罰を与えてくる対象でもあります。天の意志をかしこみ、それにそれないように出処進退を行うために「礼」という概念が生まれ、それを思想としてだけではなく、形而下の儀式として体現したのが孔子による儒教です。

知識人階級は「天」を畏れ、かしこみ、天に恥じないような生き方を模索し悩み慎ましく生きたのですが、もちろん世の中には知識人階級だけが存在するわけではありません。盗賊や犯罪者など明確な悪人だけではなく、生きるために「天」のことなど構っていられない人の方が圧倒的に多かったわけですし、春秋戦国時代にしろ、その後の楚漢抗争にしろ前漢にしろ後漢にしろ誰もが「天」を畏れていたわけではありません。

そんな中でも、後漢時代前期の名臣といわれた楊震は「四知」のエピソードで二千年近く経った今の日本でも伝わる「天」の思想を残しています。

かつて楊震の部下だった者がいました。楊震もその部下も出世してまた会うことになった際に、その部下だった者がお礼として人目を忍んで金品を持ってきたところ、楊震は拒絶します。その部下は、
「私が会いに来たことは誰も知りませんし、こんな夜中に誰も見ていませんからどうぞお受け取りください」
と言いましたが、楊震は
「天知る、地知る、我知る、汝知る。なんで誰も知らないと言えようか」
と言って改めてきっぱりと断りました。

「天」とは全知全能の存在であるとも言えますし、人間の内部にある霊的かつ形而上的な存在であると言えるでしょう。人間に道徳を思い起こさせ、悪いことを止めさせ、善いことを勧める存在です。なお、宮城谷昌光氏の「三国志」はこのエピソードを描いて始まっています。

日本でも今では言わなくなったかも知れませんが、「お天道様(おてんとさま)が見てる」という言い方で、親や目上の人が子らをしつけるのは普通にありました。

時代は下り、今の中国では儒教も天も知ったこっちゃないような政治体制かつ社会情勢になっています。共産主義が他のあらゆる思想・宗教を押さえつけていた30数年間の後、改革開放路線によって共産主義経済すら捨て去ったことで、中国人のよって経つところがお金だけになってしまった感があります。

金さえあれば何でも出来るという考えが、天安門事件後に急成長した中国社会を覆ってしまったことに、当の共産党も戸惑いというか、統治の妨げになるという判断をしているはずであり、礼儀や道徳心を民衆に取り戻させるために出してきたのがこんな政策です。

道徳心を採点される――中国で広がる「信用スコア」の内実
https://news.yahoo.co.jp/feature/1477
あなたの道徳心を数値化したら、何点なのか。「信用スコア」――いま、中国で個人の信用を採点するシステムの導入が進んでいる。システムの運営は地方自治体が行い、その目的は秩序維持やマナーの向上にある。ルールを破らない、寄付をし、ボランティア活動に従事する。そうした「善い」行いを続ければ、スコアは上がり、さまざまな優遇が受けられる。

孔子や楊震が聞いたら、それは違う、といいそうな政策ですが、中国共産党及び中国政府が求めるところは、民衆が自分本位な考えを少しでも改めて他人や社会にとって善いことをする習慣づけさせよう、ということです。

そんなことを上から押しつけて点数を付けて人間を測定する時点で道徳的ではありませんが、そこまでしないと人々の倫理観の問題を解決出来ないと共産党政府が考えているのでしょうか。

寄付やボランティアなどの善行や軽犯罪などの悪行を、政府が倫理的に判断してメリットやデメリットを与える、というのはまさに政府が「天」の役割を果たそうとしていると言えます。善いことをすれば善いことが返ってくる、悪いことをすれば悪いことが返ってくる、というのは分かりやすい善悪観、道徳観ですが、政府の目的はこれを利用して人民支配を強めることであり、それこそ行政だけではなく共産党にも従順な市民を作り出すのが最終的な目標であるのも分かりやすい話です。

さらに進んで、あらゆる監視カメラによる顔の登録と、ネット上での個人特定によって、誰がいつどこで何をしているのかを共産党が全て把握することが出来るようになるでしょう。

セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジは、世界の全ての情報をGoogle検索で見ることが出来るようにすることを目標としてGoogleを立ち上げましたが、そのGoogleを公式には排除している中国共産党政府が中国国内においてはそれを実現しそうであることは皮肉というよりほかありません。

果たしてそれが本当に実現するのか、あるいは人民の反発から反乱を招いて監視システムどころか政府まで危うくなるのか。それこそ「天」のみぞ知るといったところでしょうか。


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