見えない部分を良く想像する恐ろしさ
反米思想というの、おそらくは20世紀半ば、アメリカが世界の大半の文化・経済を支配するようになってから広まってきたと思われます。強いものへの批判はいつの時代でもどこの場所でも起こり得るものですが、冷戦崩壊を経てなおさら強まるアメリカの影響力は、同じ程度にアメリカ批判も強めてきました。
アメリカやそれに追随する西側諸国(日本ももちろん含みます)は、基本的に民主主義・資本主義・自由主義を標榜し、国ごとに差はあれどそれを実施しています。その中で、意図して不正なことをする輩もいれば、回避し得ない被害を受ける人もいます。
この世にはユートピアもパラダイスも存在しません。どれほど正常に発展した社会でも、根源的な社会の矛盾からは逃れられません。民主主義が発展すれば意見は集約されず政治は多党化します。資本主義が発展すれば貧富の格差は増大します。自由主義が発展すれば他者との意見・利害が衝突します。これらは、全て西側諸国に共通する悩みであり、その問題を縮めることが政治家と官僚の大半の仕事になっています。
その一方で、西側諸国に共通する主義を掲げない、非西側・旧東側・新興発展途上国などにおいては、強権政治により多様な政治主張を認めないことで民主主義は脅かされます。また、正規の手段ではなく国家権力と結びつかないと儲けられず、資本主義はいびつな形で発展します。さらに、権力者への自由な反発は弾圧され、自由主義は存在し得ません。
しかしながら、残念なことに前記したような西側諸国の悪いところを取り上げ、非西側諸国の良いところのみに着目することで、民主主義・資本主義・自由主義そのものを否定する向きも少なくありません。
非西側諸国の悪いところというのは、その強権的体制によって覆い隠されます。自由な報道が出来ず、多様な意見も認めない国家が、自分たちの悪いところをさらけ出す訳がありません。
ということで、パッと見では、自由な報道がされる西側諸国の悪いところと、良いところしか出さない非西側諸国の良いところを見比べることになり、非西側諸国の見えない部分を理想化する人が出てきます。
陰謀論が大好きな人もその類いでしょうけれど、見えない部分というのは良く見えるものです。マスク美人なんて言葉もありますが、あれは見えていない部分を人間の脳は理想的な情報で勝手に補うからそう見えてしまうらしいですね。
それと同じく、自由な報道がされない部分については、良いように勝手に想像で補ってしまうと、まるで理想郷ではないか、と思ってしまいます。
さすがに21世紀の現代では割合的には少ないと思いますが、そう考える人が全くいなくなったわけではありませんが、昔は本当に多かったのです。東側が鉄のカーテンにより情報がほぼ入ってこない時代においては、共産主義・社会主義国家が人間社会の理想の最終形だと本気で思われていました。そう思っていた人の割合は、現代人には理解出来ないほどでした。
その頃の書籍や文章などで、「科学的」という言葉が政治、経済、社会問題の文脈で使用されている場合、それは「共産主義的」と同義でした。「科学的に見て正しい」というのは「共産主義的に見て正しい」という感覚だったのです。
そんな中で北朝鮮による帰国事業で、北朝鮮が理想郷だというプロパガンダに乗せられた人が結構いたという事実には、情報の少なさの怖さを感じずにはいられません。
自分が見ていない部分を良いように解釈する怖さは、情報が少ない時代において存在していましたが、現代の情報過多の時代においても依然として存在します。
昔に比べれば強権的体制の国家の情報は、インターネット・SNSなどで結構入ってくるようになりましたが、それでも自由に情報を得られる社会と比べたら雲泥の差があります。見えない部分を良く想像してしまうのは、絶対値としての情報の少なさによるものではなく、相対的に情報量の格差がある場合に起こり得るものでしょう。
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