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市役所小説『お客さま、そんな部署はございません』【最終回・前編】お客さま、あなたは神様ではありません。ですが神様よりも大切な人です。

これは少し前のこと。私が働いていた場所での出来事と雑感を「セミ・フィクション(ゆるやかな事実)」的にまとめた、お仕事小説です。
毎週日曜日夜9時に更新。ついに最終回となりました。

あの日々のほとんど大半を、私は水の中で溺れるようにして過ごしてきた。水・・・それは言葉にできない感情といってもいいかもしれない。そのせいで、自分の呼吸はできず、新鮮な空気も取り込めず、肺に貯めた空気はどんどん吐き出されて枯渇していった。4年も経つ頃には、もはやエネルギー残量はほとんどなかった。

「お客様の感謝の言葉は明日の私のエネルギー」
接客業ならば、本来感じてもいいはずのこの感情。嬉しさ、やりがい、暖かさを、私はどうしても実感できないでいた。どれもこれも「嘘くさくて」沁み入ってこず、素直に喜べない自分がいた。接客の養分である感謝の言葉「ありがとう」が、たいして自分の養分になっていない――これに気づいたとき、自分に絶望した。よほど冷酷か、よほど鈍感なのだろうか。

この人、接客業に向いてない。

その言葉こそが自分の全てだと思い、折に触れて思い出しては震えた。
完全に「呪い」だった。

しかしある朝、
「ねえ私たちってさ、いつもそんなに「拝まれる」ような接客をしなくちゃいけないのかな」
接客アンケートの集計をドヤ顔で見せに来た住民課の課長が行き過ぎるのを待って、記載サポート係のキタノさんが、ぽそっと漏らしたこの言葉が忘れられない。

管理職の上層部が、自分の評価を上げるために使うものとして「窓口接客アンケート」がある。私たちの接客態度の良し悪しは、上層部の評価に関わる。だからなのか、何百という「たいへん良い」にマルがついたアンケート用紙を見ても、私は何も感じなかった。確かに来庁者にとっては、きっと何かが良かったのだろうと思う。それでも私は首をかしげ続けた。
与えているものと、受け取るものが全くかみ合っていない。心が通じ合っていない哀しさで、さらに疲労が増した。

「市民のためとか言いながら、ほんとは何か違うんだよね。あなたがたの出世のために、ご丁寧な接客をやれといわれてもね」

そう、それだ。
食道あたりでひっかかった小骨が取れるみたいに、すっと腑に落ちた。

市役所は手続きをするところだから愛想がなくて当然——という意味なのではない。私には、いつでも、どこにいても、どのサービスを受けても、与え手は感謝で「拝まれるまで」頑張らなければいけないとは思わないのだ。そんなに「もてなされ」なければ満足しないのだろうか?私には「普通か、ちょっと親切に関わる」くらいがちょうどいいのだが。

ファミレスのテーブルに置いてある「接客カード」
たいへん満足・やや満足・普通・やや不満・不満
この仕事をするようになって必ず書くようになった。備え付けの鉛筆を取り上げて「普通」に〇をつける。そして「なにげなくて大変よい」とコメントをする。
「どっちなんだよこの客。満足したのか、しなかったのか」
と言われるのがオチかも。けれど私はそう書くのだ。
「キング・オブ・普通」こそ、双方にとって最強なのだと信じているから。

まあ、日本では「親切マニュアル」なるものがあるぐらいだ。きちんと明文化されなければビタ一文だって他人に好意を差し上げたくない・・・本当はこんな人たちなのかもしれない。ただし、お金を頂けるのであれば別だ。というか、お金のためならむしろどこまでだってやるのだ。これが日本の経済、サービスなのだ。形式的に「おもてなし」してるように擬態を演じなければ、あまりにも見苦しい社会になってしまうのだろう。でも、おもてなしをしながら内心では相手を「仮想敵」に見立て、下手に出ては思い通りにしようとする。

こういう「おもてなしトリック」を、別の言葉では欺瞞という。

「お客さまは神様です」
神様はかくれんぼのオニだ。ババ抜きのジョーカーだ。神様役は、最終的には損をする役割なのである。

では、一番得をするのは?
そういえば、神様の対称に来るものって何だろ?

主人と奴隷とか、雇用主と労働者とか。矢印が←→こう、反対向きになっている関係。じゃあ神様の反対向きの矢印がつく先って、何?

「何だよ、話がちがうじゃないか。何でも叶えてくれる神様じゃなかったのかよ。見損なったぜ」
「お客様、いえ神様・・・これを叶えるにはさらなるオプションが」
「オプション?これ以上払えってこと?」
「ではお客・・・神様。私たちはここまでで」
「待って!神様でしょ」
「え、神様はあなた様なのではないですか?なのに残念ですよ。もっと払ってくれたら、もっともっとご満足いただけますのに。なぜなら、お客様は神様ですから、我々はいかようにも、おもてなししますよ」

こんなうすら寒い会話を妄想して、私はさらにこんがらがってしまう。
あれ。威張っていいのは神様側なんだっけ。それとも反対側の何かだっけ。

カツアゲの対象か甘えてもいい母親だと思って、相手に「神様役」を押し付け合う。お互い様にしても、なんて未熟な人間関係なんだ。

神様の反対語って、実は別の神様なのではないかと思った。

その点、市役所だと金銭は絡んでこないし、そこまでじゃないように見えるだろうか。
そんなことはない。最初の頃に現れた「ボーナスおじさん」がそれだ。
税金払ってんだから、オンナノコに多少イヤミを言ったっていいでしょう。

「have a nice day」
「you too!」
に、どうしてならないのか。

欧米では基本的に神様は1人だし、仮に神様がどこかにいたとしても、少なくとも目の前のアナタじゃないでしょうっていう・・・この掛け合いこそ「グルーヴ感」を巻き起こすのではないかと思うのに、それをすると「オープンマインドおばけ」とでも呼ばれてしまいそうで残念だ。

今ならわかる。
私は冷酷でも鈍感でもなかった。
ワガママおじさんに人生の悲哀を見て、妊婦のおねえさん相手に自分のエゴを責めたけれど、今考えると「そんなに悪くなかった」。
日本的接客の理想にかく乱されて、不用意に自分を責めてしまっただけだ。
この手の接客は、自分が求めている接客ではなかっただけだ。
そういう類のものが「正解」だと思わされてきたのだもの。

「嘘くさい」のは自分の方だ。それに、たとえ窓口対応だとしても私はやっぱり「女優」にはなれない。演じている姿がいかに素晴らしく、それを褒められても感謝されても、それは「私がなりたい自分の姿」ではないのだ。

スリランカ人のコンシェルジュは、もっとフランクにお客さまの願いを叶えていた。最近、日本の一流ホテルのコンシェルジュの女性を追ったテレビ番組を観た。その人は口を真一文字に結んでお辞儀も完璧、お客様のために右へ左へと走り回っていた。ちっとも憧れなかった。彼女を見たところで「大変だなあ」と感じはしても「ああなりたい」とは思わなかった。

「どーもね~」
あの日すっかり目が醒めた。

ずっと自分は人嫌いだと思っていた。
けれど、どうやら人が好きらしい。
だから暖かくて実りのある「即興セッション」がしたいのだ。

「遅い!」
おじちゃんは激怒した。
未だ呼ばれない番号の整理券を握りしめ、それをぐっと突き出してきた。

なぜか必ず月曜の朝は混みあう。おじちゃんが怒るのもわかる。
「なんでこんなに遅いのだ!」
クレームはまず謝罪だ。だから即座に「すいません」・・・とは、もう言わない。言ってもどうにもならないからだ。むしろ「謝ってやるから黙れ」と言われているようじゃないか。それだとセッションは生まれない。
「順番こないんですか」
私は立ち上がって窓口下のモニターを一緒に見上げた。
あと3番だ。もう少しだろうとは思うけど。
「俺は帰る!もう待ってられない!」
もう一度、私に整理券をぐっと突き出した。
「受け取れ」って言いたいのだ。

「ああ、申し訳ありません」
以前ならこう言って、整理券を受け取っただろう。
そして「何なのあの客」と思いながら、受け取った整理券を丸めただろう。
「どちらの書類を取られるんですか」私は聞いた。
「戸籍の、うちのばあちゃんの、生まれてから今までの」
おじちゃんが答える。
「ああ、原戸籍(はらこせき)ですか」私は言った。

今現在使われている戸籍の形式よりも前のものを求められた場合(つまりドラマでよく見る手書きのヤツだ)つながりが複雑だし枚数もかさむので、えらく時間がかかる時がある。昔の戸籍は煩雑で、窓口職員ですら、古い戸籍のラビリンスに迷い込んでしまうほどだ。

「いやいや、帰るなんて言わないで――」私は言った。
「確かに原戸籍は時間がかかることがありますね。でもせっかく来られたのですから、ここで帰るなんて勿体ないです」
おじちゃんは、目を丸くした。
わかってる。きっと私を怒らせたかったのだ。八つ当たりをして、市のサービスの酷さを責めたて、あわよくば何も言わない「受付の女の子」を𠮟りつけて帰るつもりだったのだろう。
「とにかく俺は忙しいんだ!」
「なら逆に、何時までなら大丈夫なんですか?わたし、確認してきますよ」
最近は、多少のツッコミはそのまま口に出してしまう。
「う、ん、それは・・・別にいいけど。時間かかるんなら、最初からそう言ってくれよ」
これは本当だ。人には予定ってもんがある。

「すいません、そうですよね。では私から、ワンストップ交付窓口に申し伝えておきます。でも今は、もうちょっとだけ待ってみませんか?」
「う、む・・・」
おじちゃんは手を引っ込めた。少し落ち着きを取り戻したようだ。
待合イスに戻って腕を組んで座りなおした。

「ありがとねー」
さっきまでゴネたことなんてすっかり忘れたかのように、おじちゃんが私に声をかけて帰ってゆく。それから10分後のことだ。
「お疲れさまでしたー」
表情こそ変えないけれど、胸のあたりがじわっと暖かくなった。

「ねえ、ネコミズさん」
「はい?」
市役所ロビーに誰もいなくなったのを見計らって、エンヤマさんが口火を切った。
あいかわらずお互いに前方を向いたまま、私たちの会話には、ほとんど「視線を合わせる」ということがない。もしも2人で真向かいに食事をしたら、きっと照れてしまうことだろう。

「ネコミズさんは、何か聞いてる?」
「何をですか?」
「ほら、次の人のこと・・・」
「聞いてないです。エンヤマさんは?」
「何も」
「そろそろ、言ってみた方がいいかな」

私たちには、係長に確認したほうがいいかもしれない懸案事項があったーー

(長すぎるので)後編につづく。

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