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中学受験の振返り⑥ -子供は自走するのか-

新しい年度が始まり、各塾が配布する合格体験記を読んだことがありますか?

なかなか成績が伸びないなど苦しい状況を経験し、子供なりに努力を積み重ね、合格を勝ち取る姿はまさに中学受験生の理想そのものです。自分の子供にこのような経験をさせ、このように成長してほしいと、この合格体験記を読んだ親御さんは誰もが思うことでしょう。

また小学4年とか小学5年とかでは無理でも、小学6年にもなれば、そのような自覚が芽生え、子どもが中学受験を自分事として捉え、自走し、親は後ろから巨人の星のお姉さんのように見守っていればいいと思うでしょう。

結論から言えば・・・、そんなのは「幻想」です。

中学受験期間中の子供の年齢は10歳から12歳。
解く問題の難しさに忘れてしまうかもしれませんが、まごうことなき「子供」です。昨日涙ながらに宣言した誓い(もうテレビは見ない、ゲームはしない)や、決め事なんて、1日寝ればリセットです。

「あれ、あの涙は何だったの?」と大人はついていけなくなるくらい見事に気分転換を図ってきます。または見事に、向き合わなければいけない現実から逃避していきます。

また、小学6年になって、受験の年になれば自然とやるのではないか、という点もまた、そんなことはありません。
子供にとって、1年後というのは遠い未来のことで全くと言っていいほど想像がつかないのです。
もちろん、そうでない子供もいます。期限から逆算して計画を立てて、その計画に従い、コツコツとできる子供が…。
ただ、私はそれをリアルで見たことがない。合格体験記やブログの中でしか見たことがない。なので、私の中ではあれはもはやフィクションという位置づけです。いるとしても全くロールモデルにならないです。正直、そんなお子さんならば、ブログに書こうが、親が熱心にフォローしようが関係なく、ぶっちゃけ何もせずとも合格すると思います。ブログや合格体験記などはもう、親が我が子の自慢話を公表する場なのだなと思ってます。

うちの息子の話

うちの息子の話をしましょう。
ご多分に漏れず、うちの息子は精神的に「子供」でした。中学生になった今でも、「子供」です。ここで言う精神的な子供というのは「遠くの輝かしい未来の結果より、眼前の快楽を選択する」ということです。

我が家では、YouTubeだけはまずいと思って、それだけは見せませんでしたが、その代わりテレビは解禁してました。息抜きも必要と考えたからです。

それでも、糸が切れたタコのようにテレビ(主にアニメ)を見続けてました。10分勉強しては、息抜きに1時間テレビを見るという感じでしょうか。驚くべきはこれは小学4年とか5年の話ではなく、6年のときにエピソードです。
待つことが大事と主張する教育のプロたちに、「おいおい、子供は待っていれば自走するんじゃなかったっけ?」と、文句の一つや二つ、三つや四つ、言いたくなるような時期を過ごしてました。

そして、我が家は息子の覚醒を待てませんでした。

子供がいつか自走するんじゃないか、と期待してましたが、もう無理、と判断しました。6月くらいでしょうか。
それからは毎朝、妻がその日の勉強計画を立てて、それを息子に説明し、それが終わってからでないとテレビ見ちゃダメだよと強制的に勉強をさせました。
当然、息子も妻に反発し、ほぼ毎日、妻の怒号(時々、私の怒号)と子供の鳴き声が交差するような日々。抜け駆けしてテレビやゲームをして、性懲りもなくサボっている息子を見て、何度「てめー、そんなことしてるなら中学受験なんてやめちまえ!」と叫んだことか・・・(そのたびに息子は「頑張る!」ということを言ってるのですが、次の日にはコロッと忘れて、ゲームしてましたけどね)。

何が正しくて、何が間違っているのかなんて考える暇もなく、1年間を駆け抜けたという感じです。

でも、受験が終わった今となってはまぁ、これはこれで良かったと思ってます。前にも書きましたが、中学受験が良いのか悪いのかわからないけど、家族で一丸となってそのゴールに向かって走り抜けたのだから。正しいか、間違ってるかは二の次です。

書くこと書いたので、まとめるとですね。
中学受験をする子供の9割(自分の実感としては9割5分以上)は、自走なんてせず、中学受験なんて自分事としては捉えられない、ということ。
それを踏まえると、中学受験をする場合、親のフォローがいかに大切なのかということがわかると思います。

「中学受験は親が9割」というのは伊達ではありません。

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