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はじめに。

D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
 ー我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
 ポール・ゴーギャン

産業革命の波にもまれ、画家の必要性が揺らぎ様々な表現のあり方をそれぞれにさがし始めた。数ある芸術運動の中でも革命的なみんな大好き印象派が生まれ、モネやルノワール達が世を席巻していく様をみて次の一手を考えるもうひつ下の世代にゴーギャンはいた。いはゆる、後期印象派といわれる代表的な作家だ。
彼は共産主義のジャーナリストの父と、母方の祖母はペルー系のフェミニストのフローラ・トリスタンという中々に当時としてもパンチの効いたロックな家庭で育ち、フランス革命で職を失った父は一家を連れて親戚のいるペルーへ向かうことを決意する。
 その航海中に、父が急逝。パリに戻ることなんてできない。一家は母子家庭になってしまったまま親戚を頼りにペルーのリマで4年過ごし、ゴーギャンが7歳の時にまたフランスへ戻った。

かなりグローバルな感覚を幼少期から彼は吸収したんだろうと思う。スペイン語とフランス語が話せた彼は20代前半で結婚する。その頃にはパリの証券会社で働き株式の仲介人などをして生計を立てていた。5人の子宝にも恵まれた。
順風満帆。
さて、余暇で絵でも描こうじゃないか。

私が当時の妻だったら、どうするだろう。この時なら、まだ、当然好きにしたらいいじゃないと言ったはずだ。

彼が住んでいたパリ。当時はアートのカルチャーをひっくり返すような人たちばかりが住んでいた。ピサロにはじまり(のちに仲違いする・・・)様々な天才たちと出会ってしまった。ゴーギャンの作品が、サロンで入賞した。
彼はデビューをしてしまった。当時のアート界に。
初めは画家になんてなる気はなったのだと思う。それでも、世界恐慌で株式が不安定になり彼は画家になることを決めたのだ。

彼の画家人生は、本当に「画家らしい」人生だなと思う。家族を置いて旅をし、ゴッホと出会いタヒチにまで行ってしまった。妻のソフィーからしたらこんなはずではなかった・・・と思うに違いないし、5人の子どもを育てるなんて私には全く想像がつかない。

それでも、彼の作品が魅力的なのは、何故だろう。

今年(2021年)で美大に入学してから10年になる。これは当たり前の話だけれど受験とは違って、大学に入ったら表現することを求められた。何を作るか、どうすればいいか、途方に暮れていた。作ることをやめた大学生活。
卒業して、ひょんなことから、日本の南の果てに住んだ。

海が綺麗で、空気は暖かくて、見える植物も、空も、音も、動物も、すっかり違う場所だった。どうして私はここにいるんだろう。そんなことを時々思いながら考えったて仕方ないと、それはそれで分からないことも楽しんでいた。
寂しがりやで人が好きなので、比較的はやくに友だちもできたと思う。たまに働いていたお店も楽しくて、毎日海をみて過ごした。制作も順調に進んでいた。

「うまく行っているとさ、運命ってまさかの方向に動くんじゃないかってなんか思ったんだよね。」

と、いつもよくしてくれる人に言われたことがある。

「だって、作品よくなってたからさ。」

南の島に住んでいた時、悲しくなったり、寂しくなったり、形にすることも苦しくなった時は、ウクレレを持って、ただ海にいた。ある時はフルーツを持って、ある時は本を持って、ある時はカメラを持って、パラソルもなしに木陰を探したり(日差しが強すぎてそもそも痛い)、友だちと歌ったりもした。
時々、スケッチもした。

家に帰って制作をする時、ふと思い出した。
予備校の時に模写した、ゴーギャン。
当時から好きな作家だった。
(受験を真面目にするなら模写するならラファエロにしなさいとあの時の私に言ってあげたい)

ゴーギャンはどうして南の島に行ったんだろう。
タヒチもきっと私がみている海と同じくらい綺麗なはずだ。

D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
 ー我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

海にいくと、本当に何にもない。
波の音しか聞こえない。
じっとしていると、ヤドカリたちが動き出す。
時々魚が跳ねる。
風が吹いて、太陽が雲に隠れて出てきて、水平線に眠っていく。
マジックアワーはいつも綺麗だった。

どうしていいかわからない時は、歌った。誰かが作った曲を弾いて、歌った。潮の匂いと波の音が気持ち良くて、心地いい。深いことを考えないように、考えないように、ただそれだけだったんだと思う。

それなのに、ゴーギャンの、あのタイトルが思いつく。

どこから来たのかなんて、何者かなんて、どこへ行くのかなんて、考えたくないのに、考えてしまったら止まらないのはわかっているのに、頭から離れない。大人になるってことは、自分ではコントロールできないことばかりなんだから、考えたって仕方ないじゃないって、世の中生きていくには必要かもしれない術だって、私は知ってるんだから。

ゆっくり、ゆっくり、ゴーギャンが大きくなっていく。

気がついたら、この南の島にいることができなくなっていた。まだ、頑張れるかと何度も何度も考えた。頑張れるなら、頑張りたかった。手放さないでいられるなら、手を離したくなかった。だけど、これ以上続けたら何かとんでもなく違う場所へ行ってしまって戻って来れなくなるかもしれないと思った。
それでも思う。覚悟ってそんなものだったのか、もっとできたんじゃないか、もしかしたらもっと頑張れたんじゃないか。できなかった自分が悔しくて、うまくいってたはずだったのに、少し前までの自分が想像もしていなかった今になっていることが怖かった。

太陽が眠る前に、砂浜に向かって、キラキラした道ができる。
ゴーギャンも、この道が見えていたのかもしれない。
彼は南国へ向かった。私は元いた場所へ戻っていく。
この道へ歩いていくことを決めたら、すうっと力が抜けていった。
一歩ずつ、一歩ずつ、何度も何度も振り返りながら、これでよかったのかと思いながら。
驚くほど孤独になって、驚くほど自由になった。
頭も体もまだまだふわついてると思う。
「ここにたどり着いたんだ」と思う瞬間がまたくるんだろう。
まだその実感はない。

ずっとここにあったものと、人が作り出したもの、それぞれが作り出していく偶然のものを現したいと思う。
今を続けたら、どこへたどりつくんだろう。
怖がらないで、楽しんでいたいと思う。
まだまだ知らない世界を、見てみたいんだろう。
そうして、あの時の海を忘れずにいよう。
どこに行くのかはわからないけれど。

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