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Color/色

色が、好きだ。

デッサンを勉強したけど、ちっとも上手くならなかった。褒められるのは、「木炭の色がいいね」という言葉だった。デッサンなんて没個性の塊だと思っていたし、実際そういう部分もあるのだけど、同じモチーフを描いてもその人の個性は絶対に消えやしないんだといつの日か知った。

はじめて油絵の具を触った時、「パレットに使わないかもしれない色を全部出していていいんだよ」と言われたことを覚えている。(本来的にはもっと色数を固定概念を外して使ってみなさいという意味だった気がする。)当時16歳だった私にとっては目から鱗だった。いろんな色が並んでいく。しかも、筆でとってキャンバスにのせると全然違う色になった。慣れない描画材はとてもヌルヌルして、全然乾かなくて、石油ストーブとガソリンスタンドと、サラダ油とも違う嗅いだことのない油の香りがした。

場所や、匂い、温度、空気、物体が放っている色だけじゃないものにも色があると思う。色にはたくさんの力があると思う。色からもらうイメージは意識していないだけでたくさんある。無意識に入ってくる色は、季節によって変わる植物の移り変わり、夜と昼の長さが変わることとたくさん関係している。
10代に好んでいた色と、今欲しい色、5年前に使っていた色は全体を通してみると全然違う。

その中で変わらないものは、黄色の扱い方かもしれない。黄色は私にとってはとても便利な色で、全体をまとめてくれるような色。仏像や宗教画で使われる金色に惹かれる部分があるからかもしれない。幼い頃に日本舞踊を習っていたので、着物や帯、扇子に散りばめられている金が美しいと幼いながらに感じた記憶がある。舞台上でライトを浴びた金。様々な色が折り重なっても独立して輝いて、それでいてそこに金色がないことを想像すると寂しい。舞台に立つと圧倒的に一人だった。誰も助けてくれやしない。頭が真っ白になっても、体がひとりでに動いてゆっくりとお膝を曲げて首を傾げ、気付いたら拍手が聞こえていた。稽古よりも重たい着物を着て、きつくめられた帯や、頭にさしているカンザシ、ゆっくり見上げた視線の先の扇の装飾にある、金色。たった一人で舞台にいても、この色は私の背中を支えてくれていたのかもしれない。
あるいは、証明のライト。リハーサルではこんなに眩しくなかったのに、本番ではいっそう眩しく目に飛び込んでくる。お客さんはいるはずだけれど、ライトの向こう側に座っているから初めはそれどころではなかった。上からも、下からも私だけのために照らされているこのライト。この光は、この一瞬しか照らさない、金色。けれど、どの人の人生にも自分だけのライトはいつだって照らされているののだと思う。

近年、金や銀も使うことも多くなった。ベースの色の重なりを乾かし、それは書道のように深呼吸をして最後をまとめる。
小さな雨が降り注ぐように洗い流して、次はどこへでも行ける。休んだっていい。最後は明るく照らしていきたい。暗さや混沌としていても、どこか何か輝いていて欲しいし、あかりは消えないはずだと思っている。


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