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好きなものが流行らない! 新スタートレック編

自分は熱烈に愛しているのに、世間はそうでもないことのギャップに苦しみ自分がマイノリティであることを自覚する記事の第3弾です。マジョリティでなくてよかった、と安堵することもありますけどね。

今回とりあげる『新スタートレック』は、名前だけは日本でもよく知られているものの、ファン層が沈殿しがちなこともあって「なにがおもしろいのか」その内容の良さがファン以外にはちっとも伝わらないアメリカのSFドラマシリーズ(1987~1994年)です。

一般的に知られている「スタートレック」の名前はおそらく前作であるオリジナル・シリーズ(1966~1969年)のもので、日本では『宇宙大作戦』の邦題で放送されました。もし耳のとがった宇宙人(バルカン人)のミスター・スポックを思い浮かべたなら、そうそうソレです。

ただし今回はこのオリジナル・シリーズは別のものとして扱います。オリジナル・シリーズも当時現役だったSF作家が脚本に参加するなどSFとしての良エピソードは多く存在するのですが、さすがにあまりにも古く、いまから「履修」するのは少しつらいのです。

『新スタートレック』の原題は"Star Trek: The Next Generation"であり、劇中で描かれる時代はオリジナル・シリーズの約80年後。主役も感情的な地球人を代表していたカーク船長から、冷静沈着なピカード艦長にかわり、他のクルーも含めて登場人物が一新されて"次世代"の作品となっています。それでも1987年の作品ですから、古いですけどね。とはいえ、オリジナル・シリーズを踏まえていなくても新スタートレックを楽しむのにまったく問題ないことは確かです。

外交の物語

新スタートレックの背景は、24世紀の未来を舞台に、複数の星から構成される惑星連邦の宇宙船エンタープライズによる人類未踏の星域を探索を描く、というもの。普通の宇宙冒険もの……と思われては困ります。この作品の最大の特徴は「外交の物語」であるということなのですから。

以前、フィクションとしてのガンダムと現実の香港について触れた記事で、日本アニメの多くはスポンサーである"おもちゃ屋さん"によって「派手な戦い」や「勝利の約束」が求められ、作品の"行間"では結果的に「外交の無力」が描かれてしまっているということを書きました。

では、逆に「外交の有効性」が描かれている作品はなにか? と問われれば、そのベストアンサーこそが「新スタートレック」です。

ただ、ガンダムを始めとした日本のロボットアニメや特撮ヒーロー作品を見慣れてしまうと、スタートレックシリーズは少々退屈かもしれません。

新スタートレックでは、未知の宇宙域で好戦的な種族に囲まれることがあっても「撃破」が第一の選択肢に挙げられることはありません。ピカード艦長はまず相手の主張に耳を貸し、事情を知り、協力できることを探り、平和裏に事態の収束を図ります。また、エンタープライズやそのクルーが危機に陥り、策がない場合は「逃走」手段を模索します。敵対している相手に「議論」と言う名の価値観の押し付けをすることもありません。そもそも、価値観があわないどころか言語がまったく通じないケースすらあります。

でも、そういう前提をわかって観ていても、異星人にひどい目にあわされる場面では「こんな連中、さすがにやっちまえ」という気持ちになることが多々あります。未知の宇宙を巡る長期の探索を行なうエンタープライズにはクルーの家族を含めた1000人もの人々が乗船しており、だからこそ「暴力をもってしてでも彼らの命を守らなければいけない」と思わされる場合もあれば、「暴力によって、彼らの命を危険に晒してはいけない」と思う機会もあります。

だからといって完全な非暴力が描かれるのとは違います。

一方的に襲われた場合などには、逃走のチャンスを作るためフェイント的に(相手に致命傷を与えないように)攻撃することはあります。大切なのは、倒す、殺す、といった暴力は「解決手段」ではないということと、可能な限り相手の命を奪わないということです。そして、やむなく用いる暴力の先には、必ず非暴力があるということも。"ひどい連中"と対峙したときに相手が暴力性を露出させていたとしても、その先に、あるいはその手前には何か別のものが隠れていることだってある――と信じて待ってみることの大切さを新スタートレックは教えてくれます。

日本の作品も"元は"影響を受けている

今回は新スタートレックを基本にその物語の独自性をお話ししていますが、オリジナル・シリーズも基本は同じです。そして、古い日本のアニメやコミックなどにもその影響を垣間見ることができます。

例えばガンダムに出てくるジオン軍の戦艦「ムサイ」は、スタートレックの宇宙船エンタープライズをひっくり返したフォルムになっていることが知られています。ガンダムの物語そのものが巨大ロボットが出てくるスタートレックみたいな側面もありますが、その後のロボットアニメの変質を見ると、スポンサーである"おもちゃ屋さん"を通じて子どもが求めるものはかなり違ったということでしょうか。

ガンダムは、行間で「外交の失敗」を描くと同時に、「戦争の失敗=関わる人たちの悲壮さ」を描き出したわけですが、戦争の失敗から目を逸らした人たちが外交の大切さ立ち返ることはなく、「勝利」を夢見るばかりになっていきました。

ちなみに昭和の日本アニメ勃興期には、もっと子どもに夢を与えるような玩具(月面基地のおもちゃとか)を売るためのアニメが製作されましたがヒットしなかったそうです。一方、コミック原作のある名作はヒットするものの商機には結びつきにくく、広告代理店が主導してビジネス優先の「自由に作れる」オリジナルアニメが乱造されるようになっていきます。

よくSNSで排外的・好戦的な発言をする人たちと「アニメアイコン」のおじさんたちがなぜ結びつくのか、ということが疑問視されますが、日本アニメの歴史を知ればその答えは明白です。おもちゃ屋や広告屋が意図したわけではないでしょうが、長くアニメに浸ってきたおじさんたちはずっと「好戦プロパガンダ」にさらされ続けてきたのですから。経済は子どものような衝動で動き、逆説的に人々を子どもにさせていきます。

消えゆく現実社会との連続性

なお新スタートレックの舞台である24世紀の地球人類社会は、基本的に「ユートピア」と呼ばれるものに近い理想世界の一形態です。自然なかたちで男女差別や人種差別はなくなり、科学の発展により人々は生きるために働く必要はありません。また、通貨・経済の概念も例外的にしか存在しません。

作中では、宇宙探索の道を行くことを進んだ選択したクルーたちが物語の中心として描かれ、一般の人々の生活までは細かく言及されないのですが、基本的にはそれぞれが学問や芸術なども含む公共性のある活動を自ら選んで生きているようです。エネルギーさえあれば食料も複製できるのですが、農業に勤しむ人々もいます。理想としてのベーシックインカムもこういった社会になれば実現できるでしょうから、経済の未来に関心がある人も知っておくと良いかもしれません。

しかし、20世紀くらいまでは「ありえるかも」と思えた新スタートレックにおける地球の未来からは、徐々にその「実現可能性」が薄れつつあります。

なんだかんだ言ってもスタートレックはアメリカの作品で、アメリカン・リベラルによって作られ、支えられてきた作品です。アメリカという国は世界に対して帝国(侵略国家)であると同時に多様性を受け入れている国ですから、国内においてその帝国主義を批判する表現が許されます。意外に思う人もいるかもしれませんが、帝国・植民地主義というのは多民族を抱えることが前提なので本来は多様性を受け入れるものですし、受け入れなければやっていけません。

近年ぼくらは民族主義(これは多様性を受け入れない)と帝国主義を混同しがちですが、民族主義は他者と衝突し内部の異端を浄化しようとする一方で自己の存立が重視されるため無闇な拡大は行ないません。拡大・侵略を行なうのはまさに帝国主義であり、現在のアメリカがその代表。中国や中東アラブ国家などは民族主義国家に分類できます。このあたりの認識をややこしくさせるのは、両方の顔を持っていたナチス・ドイツと、そして日本の存在です。またグローバル経済も植民地主義と一体です。

新スタートレックの世界では、あとから遅れて惑星連邦に加盟することになった地球人が、未知の惑星や対立関係にある異星人と和解の末に惑星連邦の加盟国を増やしていく物語でもありますが、これは暴力を伴わない「やさしい帝国主義」と言うこともできます。そして、もちろんその背景にあるのはアメリカ型の民主主義勢力(の思想)が地球を統一するという前提です。

でも、この前提はどうやら現実にならなさそうです。

現実世界において帝国としてのアメリカは衰退し、一時の勢いはもうありません。また、昔はバラバラに孤立していたため帝国主義のカモにされてきた民族主義国家が、今は中国などを軸にして連帯するようになってきました。この状態からスタートレックの背景にある「ひとつの地球」につなげるのはかなり無理があります。今、スタートレックは現実社会から未来へと連続するSFから、荒唐無稽なファンタジーへと転落する危機を迎えているのです。

現実社会の変化、民族主義国家の結集は、特にロシアによるウクライナ侵攻と、それに伴う西側諸国による経済制裁が引き金となって加速したと言われています。国家の在り方はともかく、経済・貿易については世界中が広くつながっていたのが制裁によって断絶されたからです。国家の価値観の違いに沿って、経済圏も同じ枠組みにしないと生きられないと感じる国々が増えたのです。

もしもピカード艦長がロシアとウクライナを仲裁するとしたら、どうするか?

そんなことを考えながら、新スタートレックを観たり、観直したりするのもいいかもしれません。もっとも新スタートレックは7シーズン、全178話もある長編シリーズですから、見終わるまでに世界がどうにかなっちゃっているかもしれないですけどね。

(おしまい)

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