見出し画像

その日夢見て。

納期に追われてます。
穂崎です。

今回はいきなり始めちゃいます。
今回は、文学フリマ京都8に向けて書いてる小説『流れゆくそこで』について書いていきたいと思います。


自分で作るということ

私は今、納期に追われてます。
今回初めて自費出版をする私は、余裕を持ってやっていこうと、早め早めの納期を設定しました。

印刷依頼をするのも初めてだし、データ入稿のやり方もわかってないし、こんなんでできるのかねとも思いながら、やるっきゃないと自分を奮い立たせてます。

どんなふうに仕上がるのかも分からないところがあるし、実際名刺を制作した時に一度やらかしたという経験があったので、1回目お試し注文を超小ロットでやろうと思って早めの納期を設定したのですが、納期は今週末。

実はまだ書ききれていないのです。
自分でもどうかしてる、と思ってます。
修正に修正を重ねまくった結果がこれ。
妥協はしたくないけど、余裕がどんどんなくなってきて焦ってる自分がいます。

まだ注文してるわけじゃないし、納期を遅らせることもできる。そう思った時に、自分で作るってこういうことかと感じました。

誰も何も言わないし、自分で好きに設定できるから融通は聞くけど、遅らせればあとでその分苦しむのも自分になるということ。
自分の責任を自分でとるという、当たり前のことを当たり前にできる人でなければならないと思わされるものでした。


書けば書くほど

何度も修正をして書き直してると、自分でも分からなくなる時があります。
それでも最後伝えたいことみたいなのは絶対的なもので変わってなくて、それがあるだけ私はブレない芯があるんだなと思いました。

修正をする中で、物語を書く上でブレない芯があるってことはやっぱり大事だと思いながら今も書いています。

物語って、常に変わり続ける、動き続けるものだと思ってますが、ひとつ完結させようと思ったら箱庭の中におさめないとなって思います。

そんなこんなで今日も書いてます。

誰のものでもない物語

私は、今回小説を書いてて、ふとこの言葉が浮かびました。

「これは誰のものでもない物語だ」

私が書いた物語ではあるけど、私のものではないなと思う時があります。
読んだら、そこで世界は変わると思ってるから。

解釈の仕方で、少しずつズレが生まれたら、それはそこで物語が変わって、私の知らない物語になるのではないかと思うのです。

さっきの言葉は、言い方を変えると、「誰のものでもある物語になる」「ひとりひとりの物語がそこで生まれる」ということなのかな。

解釈の違いだけでそんなことなるんかなとも思ったりするけど、伝えたいことが伝えられるのなら、どんな形になってもいいなと思います。


誰かの手元に渡るその時を夢見て。

今日も書きます。


それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?