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創価三世が見る統一教会報道

結論:加熱しすぎて怖い

統一教会の実態について、これまで明るみに出てこなかった事実がわんさか出てきている。それについては絶句するし、酷いと共感する。当然批判の声も多く上がる。

しかし、マスコミがそれに乗っかって、統一教会の報道ばかりするのはいかがなものか。
ある意味、統一教会バッシングとも言えよう。
ここまで来ると、エンタメとして統一教会をサンドバックにしているようにしか見えない。
マスコミは、冷静な報道を心がけて欲しい。

まだ世の中の問題は山積している。
新型コロナウィルス感染者の爆発的な増加を始め、ウクライナ問題、エネルギー価格高騰、物価高対策、憲法改正への議論などなど枚挙に遑がない。
その中で、これほど統一教会に報道のリソースを割くのはいかがなものか。

同時に、それに乗っかる私たちひとりひとりも冷静で居なければならない。
もちろん、統一教会絡みで告発される実体験は酷いものだ。当然怒りを覚える。
しかし、怒りを正義に変えて振り回すこと、それは暴力と同じだ。

こうした世論を見てふと思い浮かんだのが、創価学会における言論出版問題だ。詳細はWikipediaにある。

この問題で、創価学会公明党へ激しい批判が置き、連日国会で取り上げられたという。それも数ヶ月でなく数年に渡ったという。
池田が謝罪すると共に「国家権力に取り入るつもりは無い」「私は政界へ進出しない」などの約束を掲げ幕引きを図ろうとした。また折伏の方針も大きく展開させた。
だが国会での追求はやまず、結局自民党による擁護があり、ようやく落ち着いた。


以下は、新・人間革命中心に私が得た知識なので、世間一般とはかけ離れてるかもしれないが、容赦して欲しい。

この問題については、議員が著者に「取材なしに好きかって書かれては困る。取材は受け入れるので取材してから本を出して欲しい」と伝えたがそれを拒否。その後著者が脅されたとマスコミや週刊誌に吹聴し、録音テープが証拠だと掲げたのが批判の始まりだったらしい。

問題とされたのは議員が著者に接触したことだけではなく、出版等に関わる会員たちが、該当本を書店に並べないよう、また流通させないよう働きかけた点がある。ここは明らかにまずい。ここに関しては池田も反省し、「批判になりすぎた」と反省している。

一方で、著者が証拠と掲げた録音テープ。これは流すぞ流すぞとテレビなどで言いながら流さないという、もったいぶった流れが1年前後及んだそうだ。
実際流したそうだが、脅しと取れる要素はなかったそうだ。

しかし、既に白熱した世論は録音テープの、内容なんてどうでもよかった。当時野党第二党だった公明党を叩くことができれば、世論が味方してくれている以上どうでも良かったのだ。

以上が新・人間革命などで書かれた言論出版問題の概要だ。

当時と今では、個人の発信力が全く違うため単純比較はできない。また、出版妨害と献金による家庭崩壊や集団結婚という事案の性質に大きな違いがあるため、同じものとして扱っていいのかはわからない。

ただ一点だけ合致すると考えられるのは、マスコミや人々の熱狂具合だ。言論出版問題の際創価学会公明党バッシングはこれほどだったのか!と想起させるほどのものだ。
もちろん私は当時生まれておらず、言論出版問題の世論は分からない。しかし、1度温厚な祖父に言論出版問題について聞こうとした時、血相を変えて「何か言われたのか?」と聞かれ、それ以上踏み込めなかった。
それを察するに、学会員にとっては相当なトラウマだったのだろう。
それを鑑みると、今の統一協会自民党バッシングは、他人事のように思えない。

統一教会や自民党の問題はさておき、ここまで白熱する報道や世論がひたすら怖い。ある意味カルトではないかとすら感じる。
叩ける素材があるならいくらでも叩く。
政治利用できるなら政治利用する。
その点に関しては50年前と何一つ変わっていない。
人間、賢くなんかなっていない

当然、当事者の告発については、やっと声を上げることができる環境になり良かったと思っている。宗教二世三世問題についてもっと取り上げられて欲しいし、真剣に向き合って欲しい。
しかし、そうした姿勢はまだ見られない。
ただ、叩くことができればいいという姿勢にしか見えない。
一種の娯楽だ。
これでは全く進歩がない

するべきことは被害者の救済や、過剰な献金の法制化などであって、叩いて潰すことではないだろう。
バッシングは教団の絆をより強固にするだけだ。より間違った方向に舵を取らせるだけだ。
バッシングは言論ではない。暴力だ。今は暴力が日本中を席巻している。

どうかそのことに気づいて欲しい。
言論出版問題のあと創価学会は大人しくなった。一方で、それまで盛んに行われていた創価学会に関する研究論文がパタリと途絶えた。
近年再び創価学会に関する論文はポツポツ出始めているが、この50年近く研究されてこなかったことは、社会の大きな怠慢である。

言論出版問題という宗教と政治に関わる一大ムーブメントは既に経験している。
そこから得た教訓を糧に、冷静な対応と社会の仕組みの形成をしてほしい。叩けばいいというものではないのである

ちなみに、これを機により一層の政教分離を!との声もあるが、それは無理だろうというのが私の見立てである。
今回、別に国が統一教会を国教化しようとしている訳では無い。憲法改正しない以上は、これ以上の政教分離を進めるのは無理な話である。
共産党が政教分離の急先鋒ではあるが、あそこは憲法改正には大反対だ。やってることと言ってる事の乖離が毎度激しいなあと遠目に見ている。

タサヤマさんのtweetにもあるが、今回の問題は宗教と政治よりも、宗教と家族が適切だろう。なんでも政治に結び付ければいいというものでは、決して無い。

宗教団体からの政党への献金を辞めるべきとの声もあるが、それは難しいのではないか。なぜなら、宗教団体だけ特別扱いするためにはどうすればいいのか。なぜ他の団体はOKで宗教団体だけだめなのか。それは歪な世の中を生むだろう。またアングラ化するだけではないだろうか。

やるなら、信者から宗教団体への献金の法整備くらいだろう。このあたりは、山口弁護士がTwitterで述べている。

この辺りが現実的な落とし所ではないだろうか。

とにかく、ワイドショーや週刊誌などセンセーショナルな見出しに洗脳されることなく、幅広い情報が安易に手に入る報道環境を一日でも早く取り戻して欲しい。それが切実な願いである。