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仏法は好き、だけど学会員と学会は大嫌い

これからは、最初に書いた記事を詳しく追っていきます。⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎

自分は学会3世として産まれ育ちましたが、信心については強制されることがありませんでした。

私が自分で信心を始めたのが小学二年生というかなり早い時期だったからと思いましたが、弟は大学受験からなので、そこは徹底されてたんだと思います。


自分が信心を始めた理由は、幽霊部員状態だった地域のスポーツチーム絡みの問題を解決したかったからです。土日に練習があるのですが、行こうと思ってもお腹が痛くなり行く事が出来ませんでした。それを周囲からは「サボり魔」だのなんだの言われて辛い日々を過ごしていました。

家族に1度そのことを相談したのですが上手く話せず、結果として父親がチームに対して怒り狂う事態になり、(もう家族には相談できない)と思うようになりました。

どうしたものかと思いあぐねていた時、母親が言っていた言葉を思い出しました。


「辛い時は、南無妙法蓮華経と祈るんよ」


この言葉を聞くよりも前に私は「人類みんな十界論/みなもと太郎」の漫画を読んでいました(冒頭リンク先の記事で書籍のリンクは紹介済み)。この本はとても面白くかつわかりやすく、仏法の基本を教えてくれる本です。母親が一部ふりがなを降ってくれていたので、読みやすかったのもありますが。家に漫画がなく、その本が床に置いてあったので、計画的犯行かもしれません。

それはさておき、当時小学1年生の私にとって、家族や友人、先生や地域の人、そして私が読んでいた本のどれよりも理論的でわかりやすく実践してみたいと思える内容でした。

そして、苦しみが目の前にあります。

自ら祈るようになるのが自然な流れでした。

最初は土日練習がある日に10分間祈っていました。祈り始めて数週間、学校で怯えなくなりました。また数週間すると、練習に行けたり行けなかったりするようになりました。

ここまでくると周りも応援してくれるようになり、3年生の冬には毎回練習に行けるようになりました。

この時実感したのは結果ではなく、祈る事に自分の内側から勇気が出てくる感覚でした。この時から、勇気を出したい時、変わりたい時には祈るようになりました。

端折りますが、様々な体験を通し、祈りをふかめ書籍を読むことで信心の確信というやつを掴んでいきました。


一方で学会や学会員についてはどうか。

小学生は少年少女部という組織に属し、月に1回の集まりがありました。しかし、知り合いもいないしつまらないのでほとんど行くことがありませんでした。

家でやっていた座談会も学校に通うような年齢の子は1人しか居なく、面白くないし集まってくる人たちも暗かったので1度参加したきり出なくなりました。

本幹は母から「本幹の後買い物行くけど来る?」と言われ、買い物行くついでに言ってました。が、当時は池田先生のスピーチだけで1時間前後もある時代で、眠くて眠くて寝てました(母も寝てました)。

幹部は偉そうで男尊女卑の慣習が残ってるように思われ(これは当時の世相がそうだったのもありますが)、好きではありませんでした。


ここで小中学生の自分にある疑問が生まれます。

それは、

仏法や書籍は素晴らしいのに、現実の学会や学会員はどうしてこんなに酷いのだろう

というものです。

これが後の創価大学進学の理由に繋がります。


今はこの疑問が解消され、自分の中での答えは出ています。し、どんなに理念や教条が素晴らしくても、色んな人間がいて色んな受け止め方をするから色んな人がいて当然と考えるのが普通だと今なら思えます。

ただ、多感な思春期にはそんな考えは出来ませんでした。

この話はまた後日。


信心を熱心にしていて人にも奨める人でも、学会や学会員のことが嫌いな人もいることは知っておいて欲しいです。

だって人間だもの。