「六法全書と革命」

六法全書と革命[1960年作]

金洙暎

既成の六法全書と基準として
革命を望むものは馬鹿者だ
革命とは
方法からして革命的でなければならぬはず
これは一体どういったふざけた真似だ
憐れな民どもよ
憐れなのはお前らだけだ
天国がやってくると信じているお前らだけだ
最初限度
自由党が敢行した程度の違法くらいは
革命政府が旧六法全書から離れて
合法的に違法をしてもできるかどうか怪しい
革命を―
かれこれ憐れなのはお前らだけだ
あいつらがたらふく食っているときにも
苦労したのはお前らで
あいつらが滅びてからも実際飢えているのは
お前らなのに
憐れなお前らは天国がやってくると望んで居る
あいつらは毛頭傷みやしていない

見よ、巷間に金価格が値上がりしていることを
あいつらは毛頭傷みをしないように
もがいている
ほら、金の値段がいきなり八千九百圜なのだ
卵は相変わらず零下二十八圜なのに

こうなっても
お前らは悠久なる公序良俗の精神で
為政者がすべてやってくれるだろうとばかり心得ている

純朴な学生ども
文弱な学者様ども
面子ばかり立てる文人ども
あまりにも闘争的な新聞どもの補佐を受け
嗚呼真っ黒に手垢のついた六法全書が
標準である限り
閻魔にして俺の舌を抜かしてもよい
4・26革命は革命たりえぬのだ
いっそのこと
革命という言葉自体を放り棄てろ
なんせ
革命という文字は学生どもの宣言文と
新聞と
奮い立った詩人どもが腹中虚けて
使う言葉にほかならないが
それよりもさらに腸の乾いた彼らのことは
もう騙すべからずなり
革命の六法全書は革命しかないのであるがゆえだ

―――—―――

 1960年4月19日、同年3月15日に行われた選挙において、開票操作を行った李承晩(イ・スンマン、り・しょうばん)の自由党独裁政権に対し学生を中心に大規模のデモが起きる。この過程で、デモに参加したある学生が失踪、4月11日に海で顔に催涙弾の打たれた遺体として発見された。この事件を契機としてデモは激化し全国に広まり、19日は警察が発砲するなど騒擾が起きる(ここからちなんで「4・19革命」という)。挙句に26日李承晩は下野を宣言(本文中でみられるよう、当時は李承晩が下野した日を基準として「4・26」と)。そして新たな民主(過渡期)政府が発足した。憲法の改正などを行い(「第2共和国」という。最後の憲法改正があった1987年まで、韓国現代史では、大幅の憲法改正を基準に第1~6共和国という呼び方を用いる)、新しい民主主義が花を咲かすと思いきや、政府内の葛藤・前政権勢力の清算の失敗・革命勢力の改革要求に消極的に対応するなど迷走を繰り返した結果、わずか約一年余りしか過ぎずして、翌年の1961年5月16日、朴正煕(パク・チョンヒ)率いる軍部のクーデター(「5・16クーデター」)によって新政権は瓦解した。この再び独裁政権が成立し、1979年まで第3~4共和国を経ながら第5~9代の大統領に座につく。金洙暎は1968年、交通事故でむなしくもこの世を去ることとなるが、4・19革命の後始末の過程で、すでに誰よりもいち早く状況の危うさを見破り、その安逸さをこの詩で訴えるのである。


(2021年2月7日の前のブログの投稿より転載)

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