「おめぇを失って」

「おめぇを失って」

金洙暎(キム・スヨン、1921~1968)

おめぇが居なくとも俺は生きるぞ
億万回おめぇが居なくて悲しんだ挙句
億万歩離れている
おめぇは億万個の侮辱である

悪くもなければ良くもない花たち
そして星にも背を向いて座り
砂粒の間におめぇの顔を探している俺は目下
おめぇが居なくとも俺は生きるぞ

おめぇなしでの生に生き甲斐を帯びさせるために俺は金も稼がず
おめぇから与えられる侮辱の億万倍もの侮辱を買うことを好み
億万人の女を見ずして生きている

俺の生活の円周のうえにいつの日も
おめぇが立つことを欲し
俺の愛情の円周が頗る偉大になって欲しく

それゆえこの空虚なる円周が最も燦爛たる頃
俺はもう一つ別の流星に逃げることをわかっており

この永遠の隠れん坊のなかで
俺はまた永遠におめぇがいなくとも生きていられる日を待つべきであろう
俺は億万無慮の侮辱なるがゆえに

――――――

金洙暎(キム・スヨン) 1921~1968

 韓国の詩人。植民地時代、日本留学経験や日本語の執筆もある。英語翻訳家の仕事をしながら(その痕跡は彼の作品の至るところに残っている)、詩人として本格的活動は終戦直後から。非常に美麗に洗練された言語を特徴とする「廟庭の歌」という詩でデビューを果たすが、その後現実離れで言葉のあやにのみ焦点を当てる文学の無力さに懐疑を抱き、非常に粗暴な言葉で創作活動をしていく。ただしこの「粗暴」とは、単に技巧が足りないというわけではなく、むしろあえてそうしているのであり、卑猥な言葉や日常語を仰山用い、なおかつ(特に当時の)普段の「詩」といった形式から逸脱している自由な形をとり、異常に単純だったり短かったり長くて散文的であったりするなど、独特な詩の世界を形成しているのである。かえってそれが只ならぬ素晴らしい名作詩として成り立ち得ているのは、ただの詩より何十倍も文学として成り立たせ難く、それが彼の価値観や視線がたっぷりは反映された結果物であり、一つの技法やジャンル、彼なりの作風となり、「激烈」ないし「熾烈」といい、もっとも難しい「技巧」を使いこなせているといった方がよかろう。内容を極端に求めると、それがかえって一つの立派な技巧になりうるという数少ない例と、私は紹介したい。そのような作風から、猛烈な社会批判や、自らの醜さまで貫き通し、五臓六腑までさらけ出すような徹底した自己反省的なものを多数書いた。

 朝鮮戦争がはじまるや、彼は様々な受難を経て、最終的には捕虜となり約1~2年ほど収監されることとなる。しかしそのうち、生死が不明となった彼の代わりに、彼の妻は子を義理の母に預けたうえに彼の友人と内縁関係となり同棲していた(しかし、これについてはあの時代、あの戦争中、子供まで背負った女性がいかに生き残り難い時代だったのかももちろん勘案すべきであろう)。しかしその住まいを訪ねた彼は、妻から拒まれるとなり、そのショックで書いたものがこのものである(彼の作品の中でも珍しい「恋愛詩」である)。数年後また結局復縁し同棲することとなるが、晩年まで他人行儀な暮らしだったそうである(その二人の関係をよく示す作品も多数ある)。ここでは少々かたい言葉の語感を活かそうとした。

 「滝」「草」「雪」「あおい空を」「とある日故宮を出ながら」などは、単純愚直だが明確・激烈な彼の直線的(しかしそのなかに非常に輝く「技巧」がある)作風をよくしめしてくれるもので、国語の教科書にも多数載せられ、一般人にもなじみのある作品である。なお以上の作品はほとんどが社会・政府(当時の独裁政権)批判的なものである(ただし、「草」などの解釈については、そうでないとする説も一部ある)。「月の国の悪戯」といった自己省察的な詩も有名であり、生前に出版した彼の唯一な詩集の題目ともなっている。なお、彼は散文もかなり残しているのであるが(韓国の金洙暎全集は、厚さ的に詩編が散文編の半分強ほどである)、それを読んでいっても彼の詩と人生は必ずしも別ではなく、一貫した詩論や社会批判を呈している。当時は検閲が厳しかったため発表できずじまいに終わった未発見の詩「金日成万歳」という詩が近年新たに発見されたことも有名である(題名から誤解を招きやすいのだが、「「金日成万歳」というとんでもなくふざけている言説さえも抱擁できない社会は、表現の自由が保障される真の民主社会とはいえない」がその内容である)。しかし彼は1968年6月15日、飲み会からの帰りの途中で、酔っぱらったまま速度違反のバスに轢かれ、翌日死亡した。享年48歳(数え年)であった。しかし植民地解放(「光福」)以降、戦後文壇のもっとも重要な作家の一人として社会批判的知識人として位置づけられ、生き生きとした作品とその偉大さはいままでも色褪せず、我々に伝わっており、教訓をたれている。

 韓国には『金洙暎全集』がすでに刊行されており、先述同様詩編と散文編の二冊構成となっている。なお、残されている肉筆の原稿を搔き集めた『金洙暎肉筆詩稿全集』も出版されている。死後、金洙暎文学賞が制定され、韓国の文壇ではもっとも権威のある詩分野の文学賞の一つとしてその命脈を受け継いでいる。日本にも『金洙暎詩全集』が訳されてはいるが、私の好みに合わない翻訳(言葉選び)がところどころにあるので、それとは無関係として直接翻訳を行った次第である。日本の読者の方々はそちらをご一読いただければいいかと思う。最後に、彼の「妻」・キムヒョンギョン女史(1927~)は今もご存命で、彼の死後もずっとその名と作品を世に渡らせることに尽力しており、2013年には『金洙暎の恋人』と題した自叙伝も編んでいる。なお、来年まであと数日であるが、2021年はちょうど金洙暎の誕生100周年である。


(2020年12月20日、前のブログより転載)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?