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独立するつもりだった僕が会社員を選んだ理由

池淵寛之:2012年入社。新卒で入社し、南日本営業部の部長に。

■「お金を稼ぐだけじゃ意味がない」と言う代表に惚れた

僕の実家は、地元・出雲にある昔ながらの写真館だ。
いずれ継ぐつもりなので、就活では
「営業になって売る力をつけつつ、しっかり稼ごう。大きな取引ができる職業に就きたい」
と思い、安易な気持ちで営業色が強く稼ぎやすい不動産会社や証券会社に絞って面接を受けた。

デベロッパー業者から内定をもらって入社する気満々でいた僕に、父は
「お前、なんでその会社に行こうと決断したんだ?」
と聞いてきた。

僕「年収が高いんだよ。歩合制でがっつり稼げるから」
父「もう1回、何がしたいかちゃんと考えて就活しろ」

お金最優先の考えに不安を感じたのか、父は苦い顔でそう言い放った。
就活を再開した僕は、リクナビでハウスドゥに出会う。心を掴まれたのは、説明会で聞いたグループ代表の言葉だ。

「若い時にお金を貯めたけど、ノウハウがなくマネジメントができない状態では、いくらお金があっても意味がなかった。お金を稼いでその後どうするのかをちゃんと考えないといけない」

まるで僕に言われているようだった。だから父は「もう1回、ちゃんと考えて就活しろ」と言ったのか。

「ワンストップサービスで、不動産業界を“業界本位”から“お客様本位”に変える」というビジョンにも感銘を受け「この会社で成長して、いつかフランチャイズで不動産の店舗を立ち上げたい」と思い、入社を決めた。

■同期に追いつけない僕を支えてくれた“根性論の上司”

入社した12年前は、まだまだハウスドゥはこれからの時期。
グループ代表の「不動産業界を変える」という言葉を聞いて、最先端の不動産会社を想像していたら、良くも悪くも不動産らしかった。

最初に配属されたのは滋賀県の草津店。入社してからの3か月間、メインの仕事はチラシ配りだった。
目標である30件の反響を獲得するために、自転車のカゴにチラシを入れ、朝から晩までチラシを配って回った。
入社前からチラシ配りをすると聞いていたのと、野球部で体力は鍛えられていたので、苦ではなかった。

誰でもできそうな仕事に思えるが、何事も無駄にはならないもので、実際に自分の足を使っていろいろな物件を見ることで
「こういう物件はこれくらい反響がある」
というように、物件の目利きもできるようになった。

朝から晩までのチラシ配りより鍛えられたのは、入社1年後に転勤した沖縄での営業活動だ。
沖縄・那覇店のオープンにあたって異動になったのだが、立ち上げのお店は店舗の売上も厳しくどれだけ頑張っても内地の同期より成果を出せず、情けなく悔しい日々を送っていた。

伸び悩んでいる僕を支えてくれたのが、2人の店長だ。

1人目は那覇店の店長で、根性論の人だった。やってもやっても成果を出せない僕に、
「池淵、大丈夫だ」
と声をかけてくれた。

「仕事は等価交換だ。目の前のお客様から思うような反応がもらえなくても、一生懸命努力して働いた価値は、いつか必ず返ってくる。1年先かもしれないし、3年先かもしれないし、10年以上先かもしれない。でも絶対に返ってくるから、信じてがんばれ」

そう力強く言われて、今自分がやっていることは無駄じゃないんだと思えた。
あの時に心折れず働き続けられたのは、この言葉のおかげだ。

■独りよがりだった僕を変えてくれた“理論の上司”

2人目の店長は、根性論ではなく理論の人だった。不動産投資の知識が豊富で、物件の資産価値から経済の仕組みまで教えてくれた。

知識を得たことで興味のアンテナが広がり、ニュースをチェックしたり外部研修で不動産の勉強をしたりして、ますます知識を吸収するようになった。
自分が客として不動産営業を受けに行ってからは、お客様目線で考えられるようになり、ようやく本当の提案営業ができるようになったように思う。

思い返してみると、それまでは売上を伸ばしたいあまり、自分目線で営業していた。
とにかく熱量を伝えてお客様の背中をグイグイ押していたが、それは“独りよがりの営業”だったと気づいた。

お客様が一歩踏み出せない理由は、不安があるからだ。
何が不安なのかを察して取り除く提案をするのが、営業のやるべきことじゃないのか。

お客様に寄り添い現状のお住まいの問題点と希望を引き出しお客様の購入に対する障壁を取り除き、買ってもらうではなくお客様の背中を後押ししてあげる提案営業ができるようになった。

それから営業として信頼されるようになった僕は、全店で3か月の売上を競うランキングで、個人の仲介売上が10位にランクインした。
長い長いトンネルを抜けられたんだ、と実感した。

■組織に“トップ営業マン”は必要ない

それから2店舗の店長を経験し、今は仕入れ営業メインの売買事業で南日本営業部の部長として営業のマネジメントをしつつ、自分でも営業をしている。いわゆるプレイングマネージャーだ。

マネージャーとして意識しているのは、最初から部下を否定しないこと。
どんな結果であれ、根拠も聞かずに否定したら、今後の可能性を潰してしまうかもしれない。
だから僕は「どんな行動をしてきたのか」を聞いてから、改善策を提案する。
マネジメントだって、部下の成長を目的とした提案営業だ。

また、自分が上に立ってから気づいたのは「トップ営業マンは必要ない」ということ。
抜群に秀でている人はワンマンプレーになりがちだし、すぐに独立してしまう。今後の組織成長を目指すなら、だれでも一歩一歩成長できる環境を作るほうが大事だ。

つまり、必要じゃないメンバーなんていない。
かつての独りよがりな営業しかできなかった自分も、組織には必要な人間だった。

一歩一歩成長できる環境を作ってくれるハウスドゥだから、こんな僕でも店長になり、南日本営業部の部長になれた。
根性論の上司が教えてくれたとおり、目先の成果にとらわれず、諦めずに働いていれば、その努力がいつか必ず自分に返ってくる。
僕自身がその証明だ。

■新たな目標の先に、覇王色を漂わす憧れの社長

仲介事業メインの住宅販売である程度の成果を収めた後、今後の目標に悩んでいた時、声をかけてくれたのがハウスドゥ・ジャパン社長の市田さんだ。
昔から常にトップ営業マンとして君臨する、雲の上の存在だった。

仕入れ営業メインの売買事業部にステップアップし、一緒に働くなかで、市田さんの仕事に対する取組みやモノの見方・価値観を目の当たりにして、目から鱗が落ちた。

こんな人に自分もなりたい。一緒に働いて、成長したい。

そう思わずにはいられない、まさに憧れの存在だ。
今はまだ未熟で指導を受けてばかりだが、いつか市田さんに認められることを目標に、日々精進している。

■チャレンジできる環境が、僕を掴んで離さない

もともと、入社してから35歳までに卒業して独立するつもりだったが、36歳になった今も辞めていないし、辞める見通しも立っていない。

営業の手応えを感じるようになった頃に店長を任され、「せっかくだから管理職の経験を積んで、マネジメントを学ぼう」と思い、もう少しがんばることにした。
店長の際は、「店舗で全国No.1を目指す」目標をたて達成することができた。
全国No.1を達成したら、今度は「沖縄全体を見てくれ」と南日本事業部の部長を任された。

僕が「そろそろ」と思うと、会社が次々に新しい目標を与えてくれる。
それがどうにも魅力的で、一向に会社から離れることができない。それほど自分を成長させてくれる環境は他にないと思ってしまう。
どんどんチャレンジさせてくれるハウスドゥなら、独立するよりもっとおもしろいことができる。
毎日が新鮮で新しいことに挑戦することを前向きに承諾して支えてくれる会社に感謝しかない。

せっかく沖縄を任せてもらったんだから、
「沖縄の不動産と言えば、ハウスドゥ!!地域に必要とされる沖縄NO.1の不動産価値を創りだす会社」
になることを目標に、飛躍的に成長させたい。

そんな大きな夢を抱かせてくれたハウスドゥを、まだまだ辞められそうにない。

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