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付き合って三か月の男とラブホで精子観察した話

1泊5300円の寂れたラブホテルにて深夜1時半。
固いベッドで見た彼の精子の一粒ひとつぶを私はよく覚えている。
オタマジャクシの形をした無数の黒い物体がプレートの上で確かに生きていた。動かず群れになって固まったり一匹狼のように猛スピードで右上に突き進んだり、各々好き勝手に振る舞っているのを目の当たりにした。
震えるように左右に振れ、その振動で前に進むそれら、いや彼らを、私は拡大鏡からフレームアウトするまで一匹ずつ追いかけて観察した。執拗につけまわる私の視線から尻尾を巻いて逃げるように、どの精子もやがて画面から消えた。私は性格が悪いので、時折どんくさい精子が他の精子とぶつかるのを見て微笑んだりした。まだまだオタマジャクシは無数にいた。
彼は既に興味をなくしたようである。
精子観察キットの説明書を眺めてみては、ここ暗いから読めねーよと文句を垂れていたので無視をした。

私はその日も学校を休んでいた。
友達も頑張ってそれなりにつくったのに、それを維持する意思はもうなかった。最近は専ら、ディズニーに行った高校の同級生や「2」と「0」の形の風船を抱えてホテルで写真を撮る知り合いの知り合いをSNSで見つけては「投稿を非表示」にする作業に専念していた。ちなみに大学はというと、まだ履修した授業の教科書さえ揃えていない有様だった。
休学も退学も、ましてや留年など頭にない両親である。
私が今の大学に受かった時、関関同立に受かれば20万やるから受け直せと言い放った両親の住む実家に、意欲的に帰りたいと思うタイプの人間ではなかったので、結局マッチングアプリで出会った彼氏と週4で会っては時間を潰していた。やがて付き合って三か月目に彼が目をキラキラさせて買ってきたのがテンガの精子観察キットだった。

暇なので承諾した。もう買ってきちゃったんだから使わないともったいないよね、というような気持ち。
性行為を終えると私は彼の精子をコンドームから受け皿に流し出し、説明書通りに一滴すくってテープの上に置いた。
なんとも言えない水っぽい匂いと将来性のない高揚感が私を纏い、その久しぶりの感覚に思わずお腹の下のあたりが熱くなる。すぐに彼の携帯のライトでそれを照らして、彼らの活動を見た。昔、ミッキーのクッキー缶にどんぐりを集めて、後日開けたら大量の虫がひしめき合っていたのを思い出した。

「見てよ。これ、なんかすごいよ」

一応彼に声をかけたが、案の定、俺そういうの無理、と少し遠くで騒ぎ立てていた。
私はライトやプレートをいろんな方向にずらして精子を観察した。写真や動画にもたくさん撮った。お父さんもお母さんも、同級生も、友達も、皆もともと黒い物体だった。この小さな小さなオタマジャクシだった。
例えばこの少し泳ぎの遅い精子は、将来ユニバでカチューシャを頭につけてティックトックを撮影したりするのだろうか。この三つで固まっている精子は、男2女1のグループになって本当はそれが羨ましい他クラスの女子から陰口を言われたりするのだろうか。
だとすれば、私はこの左端の精子に違いない。必死に左右に振れているのに、一向に進まない。同じ場所で、まるで見えない何かに引っかかっているように尻尾と小さな身体を震わせてただ停滞をn回繰り返す。

いや、本当にそうだろうか。
この精子、本当は、進もうとするフリをしているだけかもしれない。

既に精子の段階で個性や優劣は存在する。私は目の当たりにしてしまった、精子の動きと、形と、ささやかな事実。
私の膣内に入るはずだった彼らすべては、私の子宮を探してフレームアウトを繰り返す。小さくて、震えていて、それでいて一番俗っぽい部分は既に伴われている罪な彼らは着床できず死んでゆく。私もいつか死ぬし、あなた達も近いうち、死ぬ。精液の中で浮かぶ彼らと地球の表面で浮かぶ私、違いは何でしょう?たくさんあるようで、あまりないかも。

でも、考えるのは辞めた。彼がお腹が空いたとやかましいから。
私はライトを消した。
また辺りは安っぽい薄暗さに包まれた。


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