見出し画像

未知なるものを捉える“ものさし”を提供する。京大の対談シリーズから、学問の府がやるべき情報発信を考える。

オンライン授業や独自給付金、学費や施設利用料の減免など、新型コロナに関わる大学の動きとして取り上げられるのは、教育や学生支援に関わることがほとんどです。いかに教育を止めないかは、大学としてとても大事なミッションであり、社会もこれに注目しています。

一方、大学には教育機関とは別の側面があります。研究機関、学問の府という側面です。医学関係の研究者は、積極的に情報発信をしています。でも、医学だけでなく、ずべての学問に携わる人たちの情報発信が、今、必要なのかもしれません。ほとんど0円大学でコラボレーションをしている、京都大学・人社未来形発信ユニットの対談シリーズを見て、そんなことを強く思いました。

いかにして、未知なるものを捉えるか。

この対談シリーズは、人文・社会科学分野の研究者たちの対話を通じて、今回のコロナパンデミックをどう受け止め、考えるべきかを伝えるものになります。全4回、それぞれ前後編に分けて掲載された対談は、哲学、歴史学、社会学、公共政策論、心理学など、さまざまな分野の専門家の視点がこれでもかと盛り込まれており、どれもかなり濃厚。コロナパンデミックを貧困やグローバル化がもたらした災厄として捉えたり、パラダイムシフトのきっかけだと論じたり、未来に続く歴史の一点としてどんな意味があるのかを語ったり、へぇ、ほぉと唸るところがたくさんありました。

思うに、今回のコロナパンデミックは、我々にとって未知なるものです。この巨大で不可解なものを捉えるうえで、一つの尺度や計測方法だけでは、到底、理解することはできない。さまざまな学問というものさしで、測ってみることによって、少しずつその姿が立体的に浮かび上がっていきます。研究者には、長い年月のなかで培われてきた学問を背景に置いた知性や知識があり、(ある程度)ぶれない視点があるため、その言説はものさしとしての機能を果たします。これは個々人が、好き勝手に述べる感想とは、まったく違うものです。今回の対談シリーズだと、異なる分野の研究者が意見を交錯させるので、より学問ごとの視点や考えが浮き立つつくりになっていました。

すべての人が頼りにする学問の府をめざして。

今回、対談シリーズの記事を読んでつくづく感じたのですが、新型コロナもさることながら、学問の府としての大学は、未知なるものが目の前に立ちふさがり不安を感じる個人に寄り添う存在でなくてはいけない。コロナのような全員に共通する未知なるものだけではなくて、個々人にとって未知なるもの、たとえば孤独であったり、家族間の危機であったり、新天地で受けた差別であったり、そういうものも含みます。さまざまな学問を修めた人たちが集まる大学だからこそ、その得体の知れないものを、どうとらえるべきかを考えうるための視点や尺度を多角的に提供できるし、それができれば、学生でなくても、多くの人が大学を頼りにするでしょう。

もうひとつ、この対談シリーズから感じ取れたのは、学問の視点でコロナを語ることは、コロナを通じて学問を語ることと同義だということです。巨大でいて、常に変わっていく学問もまた、一般人にとっては捉えにくいものです。そのような学問を切実なテーマに重ねて語ることによって、多くの人の耳目を集められるし、学問全体ではないにしろ学問とテーマ、そしてテーマの先にある読者や社会との接点が見えていきます。

新型コロナであれば疫学や公衆衛生学のように、短期的かつ直接的な解決策を提示する場合、テーマと学問の組み合わせは限定されます。でも、ちょっとうがった見方かもしれませんが、最も必要な情報というのは、大学から発信しなくても自然と世の中に広まっていくものだと思うんですね。もちろん、だから大学で発信するべきではない、とは言いません。だけどさまざまな学問・研究者が集まる大学でしか発信できない情報はあるわけで、そこに意識を向け、リソースを割くのはとても大事なことだと思います。

世の中には、未知なるものがたくさんあります。個々人が自身の人生において、それらを受け止められるように、たくさんのものさしを提供していく。大学にこれができれば、社会にとっての大学の価値は大きく変わっていくはずです。コロナパンデミックは、そんな価値の変革に挑戦する、またとない機会になります。ぜひ、それぞれの大学が、それぞれの研究者が、この未知なるウィルスをどう捉えるべきかを積極的に情報発信して欲しいし、私もメディアを運営しているので、その情報を集約し、社会に届けるお手伝いができればいいなと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?