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こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

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日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり…
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#スキしてみて

分かり合えなくても、分かち合うことはできる ~「ねじれの位置」を目指して~

私とあなたは「分かり合う」ことができるだろうか。 私はこれまで、あなたと「分かり合いたい」「分かり合えるはずだ」と信じて生きてきた。きっとそれが、私にとっては、あなたという存在に関心を注ぎ続けるエネルギー源だったように思う。 しかし、25歳になろうかという頃、私はこの信念を覆すこととなる。 私は他人を理解できない私は他人を理解できない という事実を私は知らされる。発達障害。医学的な見地からの診断である。 その特徴の一つに、会話や言葉の文脈やニュアンス、また他人の顔色や

冷凍えびグラタンもおふくろの味

中学・高校の6年間、母は私に昼食用の弁当を作ってくれていた。 メニューはというと、定番の卵焼きやウインナーなどもあれば、昨晩のお好み焼きがそのまま放り込まれていることもあった。 そうした手作りの料理たちの一方で、近所のスーパーで買ったであろう惣菜や冷凍食品もよく弁当に入っていた。 いま、私は一人暮らしをしている。そのためおふくろの味なるものは無論実家に帰らなければ食べることはない。 そうした意味で「おふくろの味はなんですか?」と問われると、先のお好み焼きはその一つであるよう

リウマチに効く温泉と「いい人止まり」の男

温泉成分表「お前って、しっかりこの表とか読むタイプなん?」 温浴施設の脱衣所の壁にかかった「成分表」を見つめる私に友人は言った。 飲食店で注文した後もメニューを熟読する私は、割とこの手の表を読むのも好きだ。無論、なんちゃらガンマンだとかその詳細を理解しているわけではない。 それでも、肩凝りだとか皮膚病だとか効能の部分くらいは私でも理解できる。その効能を知ってから入浴すると、なんだか肩の凝りが和らぐ気がするのだから不思議なものだ。 何にでも効く温泉さて、温泉成分の表を眺め

「アンタら三人」

私には姉がいる。そしてその私と姉の親に当たる母と父がいる。いわゆる家族という関係でこれまで28年やってきた。そして、今後もおそらくこのまま家族としてやっていくのだと思う。  そんな家族について、数年前、 「アンタら三人だけが納得してて、私だけ置いていかれてることは多々あった」 母がこんなことを口した。 母と父は血が繋がっていない。そんなことを最初に認識したのはこれが初めてだった。そのときの私はとっくに成人して5年は経とうかという年齢だった。 「アンタら三人」と口にした

常備菜を常備できない

丁寧な暮らしには常備菜はかかせない。らしい。 肉を焼くだけ、スーパーのお惣菜を並べるだけではいけないのだ。ちょこんとキャロットラぺや手作りチャーシューを添えてやろう。と常備菜を勧める料理本は声高に叫ぶ。 実際、日々の食事の中で「もう一品あればなぁ」と思うことは多々ある。そんなときにも、常備菜は便利らしい。なにせ皿に盛るだけでいいのだから。 ただそんな常備菜を常備できない自分がいる。常備すると言っているのに、2日もすればなくなっている気がするのだ。気がするというより、もはや

バニラアイスにブランデーをかけたことはないけれど

大人になるとは、きっとバニラアイスにブランデーをかけること。子どもの頃はそう思っていた。けれど大人と呼ばれるようになって7年目、今のところバニラアイスにブランデーをかけたことはない。なのに、私は今、大人である。 最近気が付いたのだが、どうやら人生の大半は大人として過ごさなければならないらしい。 「大人になれよ」 と大人たちは言う。夢にみたいなことは言わず、大人は大人らしく、いや「大人しく」しなければいけないらしい。あれだけ見ろと言われていた夢も、突如、夢みたいなものにな

怒らないだけで、優しくはない

優しい人は怒って、叱る? 優しい人は意外と多いなぜだか分からないが、私の周りには「優しい」と評される人が多い。 テレビやラジオを視聴していても、しばしば「あの芸人さんって、裏ではすごく優しいんですよ」なんていうホンワカ暴露話もよく耳にするように思う。 もしかすると、この世界は、割と「優しい」人が多いのかもしれない。 最後に怒ったのはいつ?そんなことを思っていると、普段穏やかで優しい人が誰かに怒っているのをふと見かけた。もっと俗な言い方をすれば、キレていた。「この人、怒る

「ウチの旦那も太鼓判!」って誰やねん

ネットで料理のレシピをみていると、しばしば、 「ウチの旦那も太鼓判!美味しい煮込みハンバーグのレシピ」 なんていうタイトルをよくみかける。そして、毎度思うのだ。 「誰やねん、ウチの旦那って」 さて、事の本題はもちろん煮込みハンバーグなのかハンバーグステーキなのかではない。すなわち、「ウチの旦那も太鼓判」という表現にある。 もっとも私が素直で可愛い人間ならよかったのだが、毎度毎度例えば「お宅の旦那は、何でもかんでも不味いって口にするような奴なんか?」なんて邪推してしま

「ねえねえ、これ知ってる?」をやめてみたら、他人と会話ができなくなった

知らないことがまるで悪かのように、会話という名の「情報交換」はいつも始まる。 私と彼女が知っていること先日、大学4年の女の子が自信無さげに相談してきた。確かに22歳という年齢おいては、27歳の私よりは知っていることの総量は小さいのかもしれない。でも、彼は私よりも海外サッカーについて詳しかったし、アルバイト先で任されている仕事は今の私のそれよりもはるかに難易度が高いように思えた。 ねえねえ、これ知ってる?とあるビルの休憩室では、スマホ片手に同僚に新しくできたパン屋を紹介する

新しさは不安の裏返しなのだと思う

昔、なんでも新しいことに飛び込んでいく奴を妬む節があった。 それは身軽に動けない自分に対する焦りだったり、失望だったり。かといって、急に動き出せるほどの能力もフットワークもない。もっとも一番は勇気がなかったのだが。 現状に甘んじている・意気地なしと言われればそれまでたが、いま当時にタイムスリップしたとしても勇気を出してチャレンジできるとは思えない。なぜなら、今のように不安でないから。 「どんどん新しいことやってて、偉いですね」 と私について評価してくれた人がいた。 有

ノーメイク男は「すっぴん料理」で恥じらいを覚えた

SNSで料理写真を投稿するとなると、いつもの料理より疲れてしまう。きっとそれは誰かに見られるという視点が自分の中にあるからだろう。もしくは見られるを通り越して、見られたいという自己顕示欲の場合もあるとは思う。 いつもなら1品しか作らないのに、写真用に数品用意してみたり。面倒な油ものにもトライしたり。誰かに見られるとなると、ここまで体が動くのだから不思議な話だ。 とノーメイクの女性がふざけ交じりに声を上げた。男で化粧をしない私にとっては、化粧の有無、もっといえば眉毛の有無が

ベル、都会も都会で大変らしいよ

香川の離島での生活は、毎日ほぼ同じだ。 天気はずっと晴天だし、夜は波音が聞こえるくらい静かだし、日中見かける島民もほぼ同じ顔ぶれだ。なにせ島には150人くらいしか人がいないのだから、そりゃそうか。都会で刺激ある生活を送っている人からすれば、極めて退屈な生活にも見えるであろう。 「田舎で退屈な暮らし」と頭の中で反芻すると、いつもあのキャラクターが頭に浮かんでくる。 ディズニー映画「美女と野獣」のヒロイン・ベルが暮らす街を歌ったこのシーン。ベルはこうした退屈な毎日を乗り切るた

「先生、また一緒に平等院鳳凰堂の扉を開けてくれますか?」

中学生の頃、理科の先生が私たちに教えてくれた。あの見慣れた10円玉にそんな秘密があるなんて。思春期真っ盛りとはいえど、純朴さを捨てきれない13歳には、昭和40年に鋳造された10円玉が今年造幣局から出てきた新貨くらいに輝いてみえるほどだった。 廊下側の教室の隅から誰か声が聞こえる。私ももちろん10円玉を下からのぞき込む。たしかにくすんだ銅色の一部が、どこか輝いているようにみえてきた。 いつの日か歌手になりたいと言っていた友人が席から立ち上がった。皆が彼を見た。彼は嬉しそうに

鏡がなけりゃ、高橋一生になれたのに

イケメンと自認するために、鏡を手放してみては? 世界で一番美しいのはだーれ? と、とある女が鏡に話しかけた。すると、世界で一番美しいのは白雪姫であると鏡は言う。 少なくとも、世界で一番美しい人間は筆者ではないらしい。もしかして、私もあの魔女に倣って、白雪姫に毒リンゴを食わせるしかないのだろうか。 鏡の中の自分に出会うさて、もちろんこれはおとぎ話。そのため、白雪姫を毒殺しようなんて思いもしない。 一方で、鏡の中の自分と出会い、肩を落としたことは何度もある。 イケメンに生まれ