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春が来た(私にとっての非常事態宣言)

1年限定でアメリカに住むことになって、早くも残り4ヶ月(のはずである、今のところ)。去年の夏にこの地を踏んだ時、まさかこんなふうに春を迎えるとは想像もしていなかった。

今、私のいる州は自宅滞在命令が発令中だ。必要な買い物や通院、散歩を除き、自宅にいることが義務になっている。公園で散歩することはできるが、遊具は使用禁止、サッカーや野球なんかのスポーツも禁止。違反したら罰金だ。多くの方が書いている通り、この状態になるのは本当にあっという間だった。目新しい情報など何もないけれど、自分自身のために少し振り返りたい。

1月

どうやら中国ではコロナウイルスというもので大変らしい、とニュースで知る。アメリカはもちろん、日本でもあまり流行することはないだろうと私は軽く考えていた。こちらの街にはなんの影響もなく、皆いつも通りの生活を送っていた。外が寒いので、おもちゃがたくさんある図書館やジムにせっせと通っては、元気いっぱいの子どもとの生活をなんとかやり過ごす。

中旬には家族でNYに行った。ブロードウェイを通って興奮したり、人の多さに驚いたり。食べ歩きを楽しんだ。

2月上旬

街で雪まつりがあると知り、親しいママ友何人かに声をかけたところ、そのうちの中国出身の友人から「コロナのことがあるから人混みには行かない方がいい」と強く勧められる。武漢は本当に大変な状況になっていること。旧正月で帰国していた中国人留学生たち(武漢出身も多いらしい)がこの街にも戻ってきていること。本当に怖いウイルスだということ。もう一度日本語のニュースを読み直す。重症化しやすいのは高齢者、8割は軽症で済む、と見て少し安心する。夫とは、「武漢のように爆発的に感染が広がると大変だけど、他の場所であんなことが起きるなんてまずないよね、まあインフルエンザと同じように考えたらいいのでは」と話す。

2月中旬

州内で感染者が一人出たというニュースを聞くも、そこから感染が広がる様子もなく、あまり深刻に捉えずにいた。別の中国人の知人が、「本当に怖くて最近は外出せず、ずっとニュースを見ている」と話していて、ウイルス以上に彼女の精神的な落ち込みの方が心配になる。「100年周期で大規模な感染症が世界に蔓延するという噂がある、今年はスペイン風邪からほぼ100年だ」と他の人が言っていても、(さすがにそこまでは…)と内心思っていた。

そういえば、街ではすっかり中国系の人の姿を見かけなくなった。

2月下旬

岩田先生のプリンセスダイヤモンド号に関する動画を見てショックを受ける。アメリカのニュースでも連日取り上げている。

こちらの生活は普段通り。子どもは、毎日のように仲良しのお友だちと遊び、最後は決まって子ども同士手を繋いで帰る。もう少し暖かくなったら隣の州に旅行しようか、なんて話していた。今思えば本当にのんきだった。

3月上旬

イタリア、カリフォルニアではコロナが流行っているらしい。NYでも感染者がじわじわ増え出した。でも旧正月後1ヶ月が過ぎたし、この街はもう大丈夫なんじゃないかと私は思っていた。知人とパーティーをしたり、友人同士家を行き来したり。暖かくなったらみんなでピクニックしよう!なんて話していた。

3月中旬

州の非常事態宣言が出る。街にある大学は春休み後4月半ばまで休校。これに合わせる形で、私が通っていたいくつかの英会話教室も全てキャンセル。子どもの大事な遊び場である図書館も閉鎖。月末に観に行く予定だったミュージカルもキャンセルに。私にとっては寝耳に水。感染者は州で数十人しかいないのに?あまりにも強力すぎる措置では?とにかく、楽しみだった英会話がなくなってしまったことが悲しくてたまらない。感染症のことよりも、日常生活が激変したショックの方が大きい。ママ友たちと、お互いの家に行ったり一緒に公園行ってなんとか乗り切ろうねと話し合う。気分転換に行った本屋が混んでるのを見て、少しほっとする。

3月下旬

レストランも閉めるところが増えて、みんな気をつけて生活しているように見える。それなのに、日に日に州内の感染者が増えていく。大学病院があるこの街なら、すぐに収束すると信じていたのに。非常事態宣言なんてやりすぎだと思っていたのに。イタリア、NYがあっという間に変わっていくのを見て、初めて本当に怖いと思った。武漢以外の都市でもこんなことが起きるなんて。そんな中、自宅滞在命令が出た。これでもう友人の家に遊びに行くことはできない。スーパー、薬局以外の店は閉店。多分本屋も閉まっている。公園で遊ぶ子どもたちの姿も消えた。でも、今度はすんなりと受け入れている自分がいた。

現在、州内の感染者は1000人を超えた。残念ながら亡くなられる方も日々増えている。

私は北国出身だから、まるで大雪の日みたいだと時々思う。大雪が降ると、大事な用事以外はみんな家にこもって、晴れ間を待つ。でも、大雪の次の日はたいていカラッと晴れるから、みんな待ちかねたように外に出るのだ。今の私たちに「次の日」はやってこない。ただ、なるべく家に引きこもって、嵐が過ぎるのをじっと待っているのだ。いつまでも、いつまでも。

それからこうも思う。「当たり前の日常」だったものが一瞬で壊れてしまうと、完全には元に戻らないことも私は知っている。9年前のあの地震から、私たちの世界は変わった。私は地震によって大きく生活を変えずに済んだ人間だけど、それでももう、あの日より前と全く同じ考え方をすることはない(それが良いか悪いかは別として)。少し前まで、私は感染症対策に必要だとしても、武漢のように都市を閉鎖し、人の自由を制限することを良しとしていいのか、抵抗があった。今も答えは分からないけれど、しかし今、自宅滞在命令下にある自分の現状を比較的安心だと感じている。極端に行動が制限されたこの状態を、安心だと。

この街の、あの賑やかだった小さなカフェやレストランは、元の姿に戻れるんだろうか。NYのブロードウェイは活気を取り戻せるんだろうか。子どもは、またこの街でお友だちと手を繋いで歩いたり、公園の遊具で遊べるだろうか。散歩するたびに「あのすべり台で遊びたい」といって泣くのだ、いつも。

買い物に出かけたら、木の芽が綻びかけていた。人の暮らしのかよわさと裏腹に、春はちゃんとやって来る。

私は、できればもう少しこの街にいたい。私の大好きなこの街が、元の姿に戻るのか大きく変わるのか、なんとかこの目で見届けたい。そしてちゃんと見極めたいのだ、私自身がどう変わっていくのかを。

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