月の向こう側

「もう◯◯じゃ無理」
数分前、その言葉を聞いて、やっと納得した。

破壊力のある言葉だったけど、その一言で、わたしのつけていた重い鎧の鍵がガチャリと開いて、鎧は大きな音を立てて地面に落ちた。ざぁざあと降る雨の中、わたしは完全に自由になった。濡れることなんて構わない。もう二度とこの鎧を見に纏うことはしないし、一瞬だって関わることはない。

もう彼の生活の心配も、精神の心配もしなくて済む。そして自分のこの先の心配も。
思わせぶりな言葉に惑わされることもなくなる。プラチナの指輪をあげる、という話で気持ちがあるように見せるのはやめてほしい。

わたしは情を交わした相手を自分から手放せない。だけどきちんと終わりを告げてくれるなら、気持ちが0なんだとはっきり宣言してくれるなら離れられる。自分の感情がどうあれ、無理なものは無理なんだから。

昔、別れ話をするために待ち合わせた喫茶店で、可愛い顔の男の子が泣いていた。泣いているわたしに同情してもらい泣きしたのだ。
「もうつきあえないの?」と訊くわたしに、「うん。もうつきあえない。気持ちが冷めた」と答えた。そしてこう続けた。「女の子に対して本気になれない。前につきあった子も1か月で冷めちゃったし、長くつきあうってことができないんだよね」
その答えは衝撃的だったのだけれど、彼の振る舞いからは容易に想像がついた。その事に彼自身も傷ついているみたいな言い方だった。
嘘や当たり障りのない言葉で流さないで、正直に話してくれたことに何故かほっとして、それであきらめるしかないんだな、と冷静に受け入れる自分がいて、不思議だった。


「ちゃんと納得できるまで話聞くから」と話が終わるまでいてくれた。
これまでに嫌だったことなどを告げると、ショックを受けていたけれど、「今までもさ、こうやっていろんなことを話しておけばよかったね。俺も◯◯ちゃんも恥ずかしがりやだから、全然話せてなかったね」と照れ笑いしていた。

帰る時、きちんと目を合わせながら「バイバイ」と手を振った。泣きながら笑っていた。

お互いに納得した上でお別れをするという事は、すごく清々しい事なんだな、と実感していた。

心配してくれていた友達から、電車に乗っている時に連絡がきたけれど、結局友達のところには行かず、そのまま美術館に行って、ぼんやりと絵を見て過ごした。

好きだったところとか、嬉しかったこととかは、わたしの中から消えない。消えないけれど、それは彼への執着というのではなくて、まだ好きだから想っていたいとかそんな気持ちでもなくて、ただ、きらきらとした宝物をわたしの中に残してくれてありがとう、という感謝だった。

喫茶店を出る前、いろんな「ありがとう」も全部伝えたら、彼はびっくりしていて、「そんな風に言ってもらえるなんて思ってなかった。俺の方こそありがとう」と照れて笑った。それを伝えておいてよかった。

人と人はすれ違っていく。
時には交わることもあるけれど、でも必ず別れはやって来る。

わたしは、別れたからって恨みたくもないし、気持ちは上手に手放したい。

自分の中に残るきらきらが増えたことを、大切に思っていたい。

さよならの前に、100%頑張っておいてよかったな。
ばかみたいに縋って、世界一情けなくてみじめな姿を晒してよかったな。

これで0から始められる。
罪悪感を持たずに、別の人を好きになれる。
わたしはわたしの好きな自分になって、また人を全力で愛せる。そして愛される。

あなたのずるいところは嫌いだったよ。
でも、たくさんたくさん可愛がってくれてありがとう。

願わくば、きらきらで満ち溢れる人生を。

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