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あの頃の私の「サードプレイス」

私が、その先生と出会ったのは、5歳の頃のことだった。

保育士だった母の影響で、自宅に電子オルガン、祖母の家にピアノがあった。
音楽が身近にある幼少期だった。

自分から行きたいと言ったのか、
母から勧められたのかはわからないが、
5歳から、ヤマハ音楽教室に通い始めた。

学校とは違う世界。
歌ったり弾いたりする時間。
お友達もできた。
私は、教室に通う時間が大好きだった。


先生は、色んな意味で厳しい人だった。

指導に熱が入り、口調が厳しくなる時があった。
あまり練習してこない子は、怒られていたように思う。

小学生になり、学年が上がっていくと、
だんだん周りの子たちは辞めていった。
風の噂から推測するに、ソリが合わなくなったのだと思う。

先生は、誰よりも音楽を愛し、本気で指導していた。
だから、ついつい熱が入ってしまったのかもしれない。

「生徒」ではなく、同じく「音楽を好きな者」として、
子どもたちのことを見ていたんじゃないかな。


私はというと、
正直、当時は指導が少し怖く感じることもあった。
怒られて、涙してしまうことも多かった。
毎日熱心に練習をするタイプではなかったので、
行って怒られるのがわかっていた。

だけど、やり始めたことを辞めるという頭がなかった。
泣いてしまうのは、自分でも練習をちゃんとやっていないこと、
自分でも納得いく演奏ができていないとわかっていたから。

負けず嫌いだった。
途中で投げ出すのはプライドに反した。

そして何より、
弾くことが好きだったから。


そんな指導のおかげで、
学校でも人前で弾かせてもらえる機会が増えていった。
(この辺りは、以前も書いた)

総合的にピアノとエレクトーンを習っていたが、
小学校中学年でエレクトーン専科を選択した。

中学生になっても、高校生になっても、
私は教室に通い続けた。

そして、この頃から、
教室での先生とのレッスンが、
私にとってのサードプレイスになっていた。

家とも、学校とも違う、居場所。
親とも、友達とも違う、先生との関係。

気づいたら、
レッスンを受けている時間よりも、
その後の雑談の時間の方が長くなっていた。

今となっては、話していたことは全く思い出せない。
だけど、私は先生との時間が大好きだった。

人付き合いが苦手だった私は、
教室に通っていた13年間で、
先生を「信頼できる大人」として見るようになっていたのだ。


だから、
高校3年生の夏、
大学受験のために、辞めると言わなければならなくなった時、
私は声が震えてしまった。

なんだか、ひどく悪いことをしている気分だったから。

先生は、言った。
「いいんだよ」

大人になったらまた、
先生にピアノを習いたいな。
そう思った。 


今、社会人になり、母になり、
ピアノは手元にあるものの、
あまり弾けていないし、習えてもいない。

先生とはその後、年賀状やSNSで繋がっている。
指導もしつつ、個人やユニットでの音楽活動を通じて、
今も現役で弾き続けている。
かっこいい。

辞めたあの日から、先生に会えていない。
あの頃感じていたことも伝えられていない。

いつか、伝えられる日は来るだろうか。
その時は、また、弾く姿を見てほしい。

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