見出し画像

原付2種で北海道キャンプツーリング①

こんにちは。とうとうGN君で北海道を攻めることになったホタテマンです。


今回はキャンプツーリングなので予想はしていましたが、荷物が鬼のように増えました。しかも重い!非力なGN君でなんとかなるのでしょうか?不安が広がりますが、キャンプするなら必要なものばかりなのでこのまま持って行きます。

出発は仕事から帰って来た金曜日の午後9時。新潟港から翌日正午のフェリーに乗るので午前10時までには到着したいです。走行距離は約400キロ、時間にして約10時間半。夜9時に出れば休憩しながら2時間程度の余裕があります。今回の達成項目の一つに国道走破があり、予定では15号線、17号線、12号線辺りを考えているので少し遠回りになりますが国道15号線で東京の日本橋まで行き、そこから今度は17号線で新潟まで行きます。

スタート時点のオドメーターは36,545.6キロ


自宅のある横須賀を午後9時に出発して先ずは国道15号線の始点である横浜駅の北側約500メートルにある国道1号線と国道15号線の分岐点に向かいます。国道15号線(通称第一京浜)は日本橋から始まって横浜駅の北側にあるこの国道1号線との分岐点が終点。比較的短い国道です。


夜のズームなのでブレブレですが、右側の川崎・鶴見方面が国道15号線。左に進んで青木橋で線路を跨いで北上するのが国道1号線。


生麦事件で有名な京急の生麦駅近くのコンビニで今回初の休憩。偶然ですが、ここは前回オーシャン東九フェリーで晴海から徳島に行った時も休憩した所。何か止めやすい雰囲気があるようです。

生麦のセブンイレブン

この後は国道15号線をひたすら北上。鶴見・川崎と神奈川県を北上し、多摩川を越えてからは東京都の蒲田・品川・新橋・有楽町・銀座通りを通過した後、午後11時半頃に日本橋に到着。

日本橋の南側には麒麟像があり、北側に日本国道路元標(複製)があります。

日本国道路元標全景
道路元標の柱(東京市)
日本国道路元標(複製)オリジナルは道路に埋まっているとか。
日本国道路元標の説明


この日本橋の日本国道路元標ですが、江戸時代の五街道の起点であり、明治になってからも近代国道の起点としてスタートしました。今も国道1号線、4号線、6号線、14号線、15号線、17号線、そして20号線の起点になってます。

さあ、これにて国道15号線は走破完了。お次はここから新潟市内の本町通りにある新潟市道路元標が国道17号線の終点です。その距離約340キロ。頑張ります。

ここからは、東京・埼玉・群馬と進み、三国峠を越えて新潟に入る予定。途中、さいたま市の国道沿いのコンビニで本日3回目の休憩。

さいたま市北区のセブンイレブン

国道17号線も利根川を越えて群馬県に入ると立派なバイパスになり、70キロの巡航速度で走れます。そんなこんなで伊勢崎を通過し、前橋に入るころにはだいぶ眠気がして来たので道の駅まえばし赤城で休憩することに。

ここには立派な芝生があり、昼間ならむりですが既に午前2時をまわっており、車中泊の車は沢山居ますが外には誰も居なかったのでキャンプ用のグリーンシートを広げて1時間程仮眠をとりました。月がとっても綺麗だったのが印象に残ってます。

道の駅の駐輪場


午前3時頃に活動を再開。国道17号線に戻って更に北上を続けます。沼田に入るころには外気温が18℃。先ほどまでのTシャツ1枚では凍えてしまうので上着を重ね着して進みます。三国峠は意外と走りやすく、県境にある新三国トンネルに入るころには外もだいぶ明るくなってました。

トンネルを抜けて新潟県側に入ると豪雪地帯の影響か、道路の状態はかなり悪くなりましたが、誰もいない道をひたすら下って行きます。ガソリンがリザーブになってしまったので湯沢で開いてたGSで最初の給油。まだ体は冷え切ってます。給油後、近くのコンビニにて小休憩。暖かいコーヒーを飲みました。

湯沢のセブンイレブン

どんどん行きます。南魚沼(直江兼続生誕の地?)、魚沼と進み、長岡の手前にあった道の駅で小休憩。まだ午前7時で上着も着たまま。

道の駅越後川口

長岡を過ぎ、三条まであと10数キロの地点にある見附市辺りで事件発生。後輪タイヤがパンクしてしまいました。

完全にフラット

新潟市街まで残り50キロ弱。時刻はまだ午前8時。修理には1時間程使えるので修理キットを使って自力修理を試みることとしました。

チューブ交換直後

後輪タイヤを外し、タイヤをホイールから外そうとしたら、タイヤレバーを自宅に置いてきたことに気付く。しょうがないのでスパナを使って試みた所、どうやったのか覚えてないが何とか外せてスペアチューブに交換。戻すときもビートワックスも忘れてたのでキャンプ用のオリーブオイルを使って何とかはめ込みに成功。足踏みポンプで空気を入れるも全然膨らまない。これはダメだと思い、この時点で正午のフェリーは諦める。JAFに連絡した所到着まで1時間半ほどかかるとのこと。その間にバイク店を探しておくように言われ、何件か連絡したがどこもダメで、今日中の作業は難しいと言われた最初の店に預けることにして何とかバイクの入院先を確保。次はフェリー会社に連絡して予約をキャンセル。そのころには立ち眩みが始まり、JAF到着まで日影が無かったので近くの農家の軒先を借りて休憩するも、どんどん息が荒くなり危険な状態に。何とかJAFの到着まで耐え、バイクの預け先を伝え、民家に戻り救急に連絡。数分後には救急車に拾われて見附市立病院の救急に担ぎ込まれました。

救急車の中では血圧が200近くまで上がっており、過呼吸と手先や唇のしびれが続いていましたが、病院で点滴を打ってもらい、脇の下にアイスノンを挟んでもらいながら2時間程じっとしてたらだいぶ回復したので、3時間後には病院を出してもらいました。

さて、私の体は何とかなった模様ですが、バイクはお店に入ったまま。兎に角今日は何も出来ない。時刻は既に午後1時頃でお腹も鳴り出したことから、病院近くの食堂で昼食にしました。

とんかつ定食

お腹も落ち着いたので次は宿探し。食堂から徒歩5分の所に早川屋旅館と言う所があったので連絡してみたところ、宴会が入っててうるさいがそれでも良ければ一部屋空いてるとのことなのでそちらでお世話になることに。

女将さんに事情を説明してアーリーチェックインさせて頂き、シャワーを浴びてクーラーの効いた部屋で休みました。体はまだ熱がかこもっている感じがしてたので本当に助かりました。バイク修理の時にズボンやらなんやらが汚れてしまったのでそちらも洗濯して頂き、本当にありがたかったです。

夕方バイク屋さんから連絡があり、交換したチューブは使い物にならないので新品を注文して修理になるが、翌日が日曜日なのでパーツの到着は正午ぐらいになるとのこと。これで翌日のフェリーの線も消えてしまったので夕食の時に女将さんに相談したら連泊可能とのことなのでチェックアウトを月曜日に決定。実は病院の支払いも月曜まで出来なかったので、自戒の念も込めて連泊することにしました。北海道行きの予定は明日バイクが戻って来てから考えることにして美味しい夕飯を頂きました。

お部屋。とても落ち着く感じの6畳和室
夕飯。とっても美味!


翌朝(日曜日)の朝食。

朝食も旨い!小茄子の漬物が新潟らしいそうです。

正午過ぎにバイク屋さんから連絡があり、修理完了とのことなのでタクシーでお店に向かいました。

状況や状態、今後の旅程や懸念事項を説明した所、2時間ごとにバイクを休ませればバーストのリスクはかなり軽減できるとのことだったので北海道ツーリングを継続することにしました。でもその前にお世話になった農家さんと消防署に手土産をもって挨拶に。農家さんは対応が不十分であったのではと気にしていたので元気な顔を見せられて良かったです。消防署の方は仕事だから気にする必要ないと言ってくださいましたが、熱中症は自分の判断ミスなので今後の自分への戒めや彼らの仕事を労う意味も込めて挨拶させて頂きました。今回は新潟県見附市の色んな方々に優しく支援頂き、心から感謝しています。

さて、問題の旅程です。翌月曜日は新潟~小樽便が唯一出ない日。夜の10時頃に秋田経由苫小牧行があるのですが、それだと夜までやることがなく、また苫小牧到着が翌日の午後4時過ぎなのでキャンプ場への移動も困難。色々考えた末に仙台から太平洋フェリーで苫小牧に入ることにしました。この便だと午後7時過ぎに出発なので新潟からの移動でも十分間に合うし、到着も翌日の午前11時なので留萌(るもい)辺りまでの移動は可能です。移動距離は約280キロ、時間にして6時間程度なので朝の9時に病院で支払いを済ませてから移動しても十分間に合います。これしかないと判断し、フェリーを予約して夕食を頂きお風呂に入って寝ました。

またまた素敵な夕食

これにて金曜日の夜の自宅出発から月曜日の再出発前夜までになります。次回は仙台に向けて出発する月曜日の朝からお届けします。

北海道がこんなに遠いとは思いませんでした。

それではまた次回、お会いしましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?