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心地よく生きる #8

「心地よく生きるとは」を本立が考えたことをまとめていきます

先日久しぶりに「千と千尋の神隠し」を観た。

20年前に公開された当時はまだ小学生であったため、
普通に作品を物語として楽しんでいた。

特に神様の世界は生々しく恐ろしいものに映った。

その中でも負けずに懸命に生きる千尋が
今まで生きてきた世界と違う世界に来て、
どうして心が折れないのか不思議だった。

私自身も色んな経験をして改めて見たときに、
これはすごい人の本質を表している作品だと感じた。

子供の時に生々しく、おどろおどろしく感じた世界は
神様ではなく欲にまみれた人の姿で、

「今の社会」を表しているのではないかと。

お金持ちに群がる人たち

与えれば与えられた分だけで満足しない人たち

もっとほしい、もっとほしいと与えられる分以上を求める

いい神様には手厚く、
傷ついていたり不衛生であれば近づこうともせず、
なぜそうなってしまったかも中身を見ようともしない

”いい神様”とは単に幸福をもたらすだけではなく、
たくさんの利益、お金、富をもたらしてくれるものと
勘違いして見極め切れずに、富やお金に群がる人

そんな人の様子を見ていたカオナシは
中身が未熟で、ほしいものはお金を差し出せば
全て出てくるものと思っている

豪華絢爛な湯屋を統括している湯婆婆でさえ、
その良し悪しの判断を間違える

子供に気に入られたくて、
機嫌ばかりを伺って、
怪我をさせたくないからと子供の自由を奪って囲ってしまう過保護さ


その対象にある
銭婆の豊かな心の持ち方

彼女は質素な暮らしの中で自分ができることはきちんとやり、
悪いことはしっかりと相手に悪いと叱れて、
許すことができる人

この物語には二つの世界があり、
綺麗に対象になっていると感じた


富があることが本当に豊かなのか?

心が欲にまみれている状態でほしいものを手にしたところで、
それは一時的なものでまた「もっと、もっと」と欲が出てくるのは
本当に幸せと思えるのか?

と宮崎駿さんに問われている気がしてならなかった。


本当の豊かさとは、心のうちにあるものではないか。

自分たちはお金や地位や名誉欲しさに失っていないか。

子供を自分の所有物として、個人として見ていないのではないか。


20年経った今改めて見て、そんな発見があった。

もちろん
お金を稼いで何か欲しいものを買うのを目標にするのが悪い、
ということではない。

ただ、お金をたくさん持っているから、
ブランド物や高級車がたくさんあるから
偉いのではなく、
「もっと満たそう」という心を外に求めてしまうと苦しく、
生きずらくなってしまう。


大切なのは質素な中にも幸せをみつけれるように、
自分の心を満たすことである

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