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【私の相模原事件〜私と植松と世の中と〜】❷命の選別〜死刑制度の意義〜

7月26日で、事件から丸6年が経ちました。
2ヶ月前からずっと考察してきました。
連載で綴っています。

『相模原事件とは何だったのか?』
が粗方分かるかとは思います。
振り返ることで、皆様のより良い人生の一助にでもなれたら本望ですm(_ _)m。

(※なお、ご遺族の気持ちは承知しています。その気持ちをどうしたら社会に落とし込んで昇華できるのかを考えた上であり、加害者と向き合うのはその一環で、あくまでも第三者の考えです。殺人は肯定していません。ちなみに私は無宗教、政治思想不明です。資料として本5冊、ある程度のネット記事(主に神奈川新聞)を読みました。)

「相模原障害者施設殺傷事件」
2016年7月26日未明、神奈川相模原市にある知的障害者施設津久井山ゆり園に元職員植松聖(当時26歳)が侵入し、障害者19名を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた。2020年3月に死刑が確定した。

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❷『命の選別〜死刑制度の意義〜』

この事件の焦点の1つが「命の選別」でした。それは、死刑制度が存在していることへの問いにも繋がりました。作家や知識人らが今回の死刑判決にも疑問を抱えています。その疑問は今回の事件で露骨に現れました。

植松は「生きてる意味の有る人、無い人」と命を勝手に選別しました。それに対して国家は彼を「生きてる意味の無い人」として選別し、死刑判決を下しました。「命の選別」は誰にも行う権利はないが、「国はしていい」ということになります。

しかし、憲法11条では、基本的人権はすべての国民に認められ、永久に国家から侵害されることのない権利であるとされています。死刑制度には「人権」における矛盾を抱えています。また、憲法36条では、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあります。1948年に「死刑は残虐刑に該当しない」と裁判で判決が下って以降、日本は死刑制度を存置しています。

現在、完全廃止108ヶ国、事実上廃止28ヶ国、通常犯罪のみ廃止8ヶ国、存置55ヶ国です(アムネスティ2021年度報告)。先進国(OECD加盟38ヶ国)で存置しているのは、アメリカ(全50州うち23州が廃止)、韓国(事実上廃止)、日本のみです。欧州ではベラルーシ1国を除き廃止となりました。

「命の選別」を国がしてもいいのか、この事件を機に、国民全員で考えていけたらいいです。

ちなみに私は死刑制度廃止派です。
理由は、どうしても、人が人を「殺す」という行為が受け入れられないからです。例えば、執行する刑務官を私が務めるとして、国民の意志だから、社会の正義だから、遺族の気持ちだから、と思っても、出来ないしやりたくない。やったとしても、一生心の中で「仕方がなかったんだ」と言い聞かせて生きて行くと思います。実際、刑務官は精神的苦痛を抱えながら働いています。人の命を奪うということは、とてつもない心の負担です。
では、遺族が直接執行したとして、本当にそれで報われたと思えるのでしょうか。また別の重荷を背負ってしまわないだろうか…。
私は遺族になったこともないし、なってみないとわかりません。死んで償えなのか、死ぬまで生きて償えなのか。どれをとっても満足できないかもしれません。ただ一概に、軽々しく「こんな人間は殺されろ」とは第三者の私だからこそ、どうしても言えないです。
人権を冒涜した人間の人権は守る必要もなく抹殺すべき。これは難しいのですが、私は快諾できません。

肯定派の意見として、死刑廃止されて終身刑になったとして税金を何十年もその囚人に投入するのは勿体ないとありますが、私は人の生命維持ならばそこに税金を投入するのはやむ無しだと思ってます。税金の使い道を問うのならば、無駄に使われてる税金、真っ当な国費の使い方はされてるのか、を鑑みなければなりません。2020年度の税金の無駄使いは総額2108億円(会計監査員報告)です。(アベノマスクは必要だった?私は開封せず押入れに眠ってます。115億円相当の余剰分が保管され、保管費用に6億円。)
命と税金は天秤にかけてほしくないのです。

統計上、国民の8割が死刑制度に賛成しています。法治国家であり、死刑制度がある以上、私はこれを尊重します。

死刑肯定派の元裁判官の言葉です。
「死刑囚の命を奪うということは私達の『試練』なんです。」
果たしてどれくらいの国民が「試錬」だと思って死刑執行に向き合ってきたでしょうか。少なくとも私は死刑制度に真剣に向き合うまでは、試錬なんて一度も思ったことがありません。

池田小を襲撃した宅間守は、死刑を自殺に利用しました。自殺できないから死刑になるために殺害する。これでは本末転倒です。

2008年の死刑執行後に、冤罪の疑いが浮上している飯塚事件があります。もし冤罪だとしたら、国家が無実の人を殺害したことになります。飯塚死刑囚は執行直前までやってないと否認し続けて亡くなりました。
執行待ちの和歌山カレー事件の林死刑囚は、現在ネット上では冤罪派が多数です。
袴田事件の袴田死刑囚(現在86歳)は、死刑確定から34年間、死の恐怖に怯えながら獄中で過ごし、冤罪浮上後再審が認められ、78歳で釈放となりました。現在は長い拘禁生活の影響で精神を病み、日常的な会話も難しいとのことです。まだ無罪を勝ち取れていないので死刑囚のままです。
大問題ですが、日本には冤罪が多いのです。

殺人者には人権を与えず人とみなさない。これは植松の重度障害者を人とみなさない思考と同じです。私達は彼と同じレベルで仕返しをすることになります。

復讐感情で人を殺すことは、本当にその人のためになるのでしょうか…。人の命を奪う死刑は、本当に「正義」なのでしょうか…。私はただの野蛮な制度としか思えません。現在確定死刑囚106人。彼らは毎朝突然来る執行通達に日々怯えて生きています。(通達後当日執行)

(昨日7/26、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智宏の死刑が執行されました。虚しくてなりません。ヤフコメは見るに耐え難く、皆一様に「もっと早く執行しろ」「法務大臣素晴らしい」でした。私はこの思考回路こそ危ういと思います。シネシネ文化です。死に追いやり壁作って自分には関係なし、何も考えない。死刑囚を生まない社会にするにはどうすべきかという思考が抜け落ちています。皆様は本当に本当に絶対に人を殺さない自信は100%ありますか…?私はありません。)


(❸へ続く)


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