Episode 486 ループで疲れてしまうのです。
父は家事一切を妻…つまり、私の母に任せる「昭和の男」でした。
「ボクは料理だって洗濯だってできるんだよ。」というのは父の口癖でしたが、私は父が家事をやっているところを見たことがありません。
完璧な桃太郎型分業体制の両親…今のご時世なら、これは問題かもしれませんが、私の両親については、それが悪かったことだと思っていません。
サラリーマンとしての父の収入で妻と子ども2人を育て、土地が安い田舎の地域とは言え、家一軒を建てるだけの経済力があったのは事実なのです。
もちろん母も洋裁師としての仕事をしていたのですが、扶養から外れることなく「内職」としての仕事で収まっていたのも、納得して合意したことだったのだと思います。
もちろん、この合意に「時代背景」が大きく影響していることは間違いないのですが…。
父としては、「家の切り盛りを母に預ける」ことを優しさだと考えていたのでしょう。
母の家事に一切口出しをしなかったのは、「お互いに受け持つ領域」を尊重した結果だったのかもしれません。
そんな父の認知症の症状が進み、短期記憶がかなり怪しい状況になってきたのはここ数年の事でした。
父と話していても普通に「会話自体は成立する」のです…が、話の区切りまで行くと最初の部分が分からなくなっていることが多くなってきたのです。
日を追うごとに、その覚えていられる時間が短くなっていくのを感じていて…そして、その日「記憶が消える」という難しさを私は目の当たりにすることになったのです。
台所で朝食を作っている様子を見に来る父…。
「とりあえず、サッサとご飯作らないと」…と思って振り返ると、そこに父が立っているのです。
以下、ご飯の準備ができるまで、無限ループ。
父は、その優しさゆえに母を気にして「出来ることをしよう」と思うのでしょう。
でも…その優しさが、認知症の症状の中で介護者に対しての「凶器」になることがある。
その日は私が台所に立つことで、母の安静を保つことができたのですが、私がいない「通常のふたりの状態」で、母はずっとこの無限ループに付き合っていたワケです。
朝も昼も晩も夜も、言って理解した数分後には白紙のスタート地点に戻る…ひたすら同じことが繰り返されるワケです。
私にSOSを出さなくても、母の体調の悪い日はあったことでしょう。
静かに寝ていたいときでも、数分おきに「大丈夫か?」と心配して様子をうかがいに来るとすれば、それがどれほど大変なことか容易に想像できるワケでして…。
今日一日、今日だけなら何とかなる…でも。
言って理解してくれて、でも先に進まずにスタート地点に戻ることは、ASD的思考ではなくても、精神的にかなり削られると思います。
そこに私のASD的な特徴のひとつである「予定調和」があるとどうなるか。
私は自分の行動を「工程表」で管理してしまうことで安定を得る、その思考方法が根底から成り立たない、先の予測が立たない霧の中でどれだけ耐えられるのか?
長男という血縁に絡む社会的な理由だけでは、親の介護という「キレイごと」では済まされない問題を抱えきれません。
私は両親を嫌っているわけではないのです。
ただ、子どものころから感覚過敏やASD的な自己完結・自他境界の緩さ故に、両親と距離を置いた関係を作ってきた部分があることは否めません。
どこか他人事な両親との関係が、介護というヘビーな状況で他人事では済まなくなるワケで、他者視点の獲得が難しい人が介護のキーパーソンになることで発生する「境界線を越えて圧し掛かられ侵食される」覆い被せられることに耐性がない危険な状態を、私は感じずにはいれれないのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?