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Episode 406 「できる」が「できない」を隠すのです。

私が発達障害の一種「ASD」だと診断されたのは2014年の夏のことでした。
私が44歳になったばかりのころです。
結婚したのが26歳になる年…1996年のことですから、出会ってから20年近くASD未自覚の時期があったということです。
何度となく仕事で躓きながらも社会生活ができて、愛すべきパートナーと出会い、愛すべき子どもたちに恵まれて生活してこれたのは、単にパートナーの努力があってこその話だと感謝しています。
その辺りの話は、このブログの過去記事で克明に記してきたつもりですから、手が空いている時にでも読み返していただくとして…。

発達障害という「言葉」の認知は進んできてたように感じます。
それが十分かどうかは別の話として、少なくても…私が若かりし頃に比べれば、明らかに理解はされるようになっていると思います。
ただ、これだけ発達障害ということが社会的に認知されるようになった理由は、日本の社会的な構造に一因があったのではないかとも思うのです。
と、いうのも…。

ツイートで示された「みなしできる」とは、ひとつの指標を見て全ての指標を推し量るという定型発達をベーシックにしたときに良く行われる能力測定の方法だと私は思っています。

つまり、人間には発達段階という年齢相応の「心身の発達状態の平均値」があって、基本的にはその通りに発達する人が多い…ということです。
だから、発達段階の速い遅いはあっても、発達段階に合わせて全てが均等に発達していると「錯覚」してしまうのだろうと私は思うのです。
発達障害と診断された人は、この「均等だ」と認識される枠を逸脱した凸凹がある…ということです。

そう考えた時に、大人になってから発達障害という診断を受けるとは、最近になって「発達障害」という認識が社会的に進んできた成果であると思えない部分が、どうしても出てきてしまうのです。

私は、発達障害を内部的自発で自覚に導くことは困難だと思っています。

「みなしできる」で評価されるポイントとして大きいのは「学力」です。
残念ながら今の日本の学校教育で、このポイントを越える評価ポイントがあるとすれば、特定の分野で全国レベルの活躍を見せる何かがある…ということぐらい、例えばスポーツとか音楽とかね。
勉強が出来てしまうことで、その他の全てにおいて「出来ていると見なされてしまう」ワケです。
苦手なことも出来ると見なされてしまうから、何とか「できる」の社会で生きていくためにブラックボックスという「迂回路」を作り、思考せずに答えを導くクセを付けてしまうのだろうと思うのです。

この「迂回路」は結局のところ「帳尻合わせ」の手段なワケでして、「見なしできる」で評価された発達障害者は、周囲に「何か変わってるけど…」という一定の評価をもらいながらも飛び抜けておかしなことをするわけでもなく何とか社会生活をおくるワケです。
ところが、企業活動や結婚という家庭生活で、迂回路で合わせられる限界が訪れる…。

大人になってからの発達障害の診断は、研究が進んできたから最近顕著になった…ワケではないように思います。
そうではなくて、学力という単基準で人物を推し量ろうとする「(暗黙的な)日本的な価値基準」が一方あって、機械化・省力化が進む社会での「人の役割」が他方にあり、得意な分野だけで生活しにくくなった現代社会が凸凹の多い人をあぶり出した結果なのかと思います。
そんな人が多く現れたことこそ、研究が進み認知が始まった最大の要因である…と。

発達障害者の支援や、カサンドラへの認知は絶対に必要…でも、発生しているそれらの「現象」だけを見ても解決には進んでいかないように思います。
必要なのは、あなたの意思をキチンと読み取り、私の意思をきちんと伝えるというコミュニケーションの基本を学ぶ場だと感じます

改めて、この本を紹介します。
2019年の本屋大賞・ノンフィクション本大賞を受賞したブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は、イギリスのとある都市で公立中学校に通う息子とかあちゃんの日常を描くノンフィクション作品。
日本が抱える問題点を解決できるヒントがいっぱいあると、私は思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2020/2/16

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