Episode 699 わかっているけど我慢です。
何を隠そう、私は「(ニューロ)ダイバーシティ」推進派なのですよね…と言うか、何も隠してない気もしますけれど。
先日も「(ニューロ)ダイバーシティ」について、こんな記事を書いたのですよ。
この記事の中で、私は私の思う「ダイバーシティ」について、こう書いたのです。
「ダイバーシティ」という言葉が示すものは、突き詰めるところ「人権の尊重」なのだと思います。
この "POST" が示しているのは、「ダイバーシティ」が求めているのは差別や偏見の解消ではなく、「平等に与えられる権利の行使」なのだという意見でして、等しく権利を行使できる社会の実現、それがつまり差別や偏見がない社会である…ということです。
この目的と結果の差は、極めて重要な意味を持つのだ…と、私は思っているのです。
コレは昨今の「ダイバーシティ論」で、私が最も不安に思う部分でもあるのですけれどね。
さて、前回のnote記事で、自らの発言や立ち振る舞いについての慎重さは、社会を円滑に回すために重要なことである…という意見を書きました。
このことについての補足として、私は "X" に以下の投稿をしたのです。
この "POST" は以下のように続きます。
ハテ、ナニカオカシイ…。
ここまでのハナシを見て聞いて、どうも主張に矛盾がある…と思った方、サスガです。
平等に与えられる権利の行使ができる社会を目指す、それが「ダイバーシティ」だと言っておきながら、発言に配慮が必要だ…と言っているワケですし、私の本質ではなく、私の言動による大雑把なイメージで私が語られることが多い…とも言っているのですよね。
自由な発言が尊重されるのは「ダイバーシティ」と違うのか…いう意見は正論ですからね、ここにどうしても不整合が発生するワケですよ。
即ちこの発言の両面、この不整合こそが正にそれこそが「ダイバーシティ」の現実的な問題である…と、私は思うのです。
埋め込んだnote記事「人権が土台になるのです。」は昨年(2022年)9月に書いたのモノで、国連の「障害者権利委員会」が発表した勧告について私が思ったことが書き綴られています。
この中で私は、国連の勧告が「人権に基づく権利の行使を促す内容」であると理解した上で、即時国内展開の難しさについて「私の考え」を書きました。
現代社会は、成る可くして成立した…それは良い悪いの問題ではなく、事実として見なければならないと私は思っています。
その現状が「道徳+福祉」の考え方がメインで人権の感覚に乏しいとすれば、その人権についての啓発は重要な活動になる、私のnote記事や "X" への投稿は、私ができる「ささやかな活動」であるワケですが、だからと言って日常生活を疎かにすることはできません。
現実の社会で生活できる方法があって、その上で何をどのようにしたいのかを考えなければ、私は生きて行くことはできません。
目指す山の頂ばかりを見て理想論を唱えても、「机上の空論」「絵に描いた餅」では現実味がないワケで…。
だからこそ、先を見据えて今できることを考える…は、重要なのだと私は思うのです。
この「不整合」を不整合である…と認識することは、私にとって、とても大切なことなのです。
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