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Episode 536 親の受容が重要です。

私は1970年生まれで、8月に誕生日を迎えれば51歳になります。
先日の記事でもお話ししたように、各家庭の世代交代のスパンはザックリと30年…ということは、20歳前後の子どもたちと、80歳位の親がいる世代…ということになります。

私の両親は父も母も健在なのですが、数年前から父の認知症が進行し、最近では「2分前の出来事」も「部屋の間取り」も分からなくなってしまい、目を離すことができなくなってしまいました。

あれこれと心配しているうちに、父を介護する母が倒れて…というのが去年の晩秋の出来事。

長く連れ添った父を自分で世話したい母の「介護負荷」を減らすために、父を3泊4日で施設に預け、残りの4泊3日を自宅介護、さらにフレキシブルにデイサービスを使うことで何とか母の気持ちと体力的な心配事の折り合いをつけて、軌道に乗ってきて半年が過ぎた4月末のこと、再び母が体調不良でダウンするのです。

幸いにも「体調が良くない」と母が予め連絡をくれていたので、本格的にマズい状況になる前に「タオルを投げ込む」ことができたのですが、セコンドが常にリング脇に待機しているワケではないあたりに「老々介護」と「共稼ぎ核家族」の難しさを感じたのです。

注目すべきは、moromi(@moromi_zzz)さんの「発達障害の当事者には親子関係がうまくいっていない人も多いんですよ」という言葉です。
その内容についてはリンクからツイートに飛んでいただくとして、この親子関係が上手くいっていない原因として、親の「子どもの障害に対しての無理解」があるように思うのです。

私は以前に、私のASDについて両親に話したことがあります。
それについての母の答えは「その病気、治るんでしょ?」でした…4~5年前のハナシです。
その一方で、マスコミなどで語られる発達障害者が起こしてしまった事件の報道や、親戚での発達障害傾向のハナシを私に対してするのです。
「親戚の○○さんの子どもが引きこもって」とか「甥っ子の子どもが会社を辞めてどうすんのか」とか。
いや…あなた(母)の息子(私)が当事者ですけど、私の前でその話をするのですか?

80歳を過ぎて、それでも何も分からなくなった自分のパートナーに寄り添う母に、これ以上の負荷をかける気はありません。
母は私を障害者だと認識していませんが、今さら説明して理解してもらう気もありません。
ただ…このことは、母は私のことを理解してくれていなかったことを決定付けるに十分な出来事です。

法的に根拠のある血縁関係がありますから、必要なフォローはしていくつもりです…でもね。
親が子どもの障害を理解していないことで発生する子ども側のダメージは、親をフォローすべき年齢になった時に「フォローする気になれない」という形で吹き出す可能性を感じるのです。

「普通」を要求され、外モードや擬態で誤魔化して親と接した記憶のある方は、潜在的に親子関係が拗れているかもしれないワケです。

良いか悪いかは別にして「家制度」の根幹が揺らいでいるこの時代、年長者の世話をするのが当たり前ではなくなって、独居老人の孤独が問題になっているその一端に、親の子どもに対しての無理解があるのではないか?
それは障害の有無には関係なく…なのでしょうが、こと障害を抱えた人のいる世帯については、「親の子どもの障害を受容する」という点が大きなポイントになるのではないかと、私は思うのです。

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