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Episode 653 冗談の理解が出来ません。

2022年も残りわずか。
12月29日の夜に、公開版の「自閉文化を語る会」があります。
毎回楽しみにしているのですが、今回のテーマは「『嘘、冗談、皮肉』、つまり事実か事実でないかを判断する必要があるコミュニケーションについて」なのだそうです。

今回の話題も実に興味深いのですが、ASDの私の思う『嘘、冗談、皮肉』について、「自閉文化を語る会」のハナシを聞く前に一度まとめておこうと思ったのです。
なぜならば、私が『嘘、冗談、皮肉』をどのように感じているか、その背景は何なのかをハッキリと確認しておく必要があると感じたから…。

結論を先に言っていしまえば、私は「明確に事実と反する笑い話」以外の『嘘、冗談、皮肉』を殆ど理解することが出来ません。
その理由に掲げる最大のポイントは、私のnote記事に頻繁に登場する「潜伏(≒良い子)型ASD」というタイプにあるのだと思うのです。

「潜伏(≒良い子)型ASD」の成立についてをザックリと解説すると、「心の理論」の獲得が上手くできなかったASDが、『あなた(社会)が求めるもの』を『自らの意思』の代替えにすることで社会をサバイブしようとすることによってこのタイプが生み出されるのだと考えます…少なくとも私はそうでした。
詳しくは過去記事「埋もれる自閉があるのです。」にジャンプしていただくとしてですね…。

『嘘、冗談、皮肉』とは、あなたと私の関係の中で語られるハナシなのだと思うのです。
あなたが私に対して『嘘、冗談、皮肉』を言いたい、言わざるを得ない…が発生して発言に繋がるワケですね。
そこには「あなたから見た私」という二人称が存在し、私の存在を意識するからこそ『嘘、冗談、皮肉』を発言としてチョイスするワケですよね。
ここに私が気が付くからイラっとしたり、クスっと笑ったりする…ですよね。

ところが私は、別人格で別の思考を持つあなたの存在を上手く理解できていないのです。
なぜならば、私という一人称の人格を仕舞い込んでしまい、社会的常識をその代わりに推し立てる「潜伏(≒良い子)型」という方法を選んだから。

『嘘、冗談、皮肉』というのは、お互いに「二人称のあなた」がいることによって成立するのだと思います。
一人称の私を消し去り、あなた(社会)に迎合することを生きる術にしている私が、あなたの言葉に疑問を持つことはあり得ないワケですよね。

ここを起点にして、今度は「吐いてしまうウソ」が発生するのだと思うのです。
良い子を演じるために背伸びをすることを求められれば、無理して「出来る」と言わなければならない瞬間が生まれるワケですよ。

「潜伏(≒良い子)型ASD」が、この背伸びを日常的にやってきた結果として自分を偽ることに対しての抵抗感が弱い(偽ることへのハードルが低い)ことは、想像に易いことではないか?

ASD当事者が「心の理論」の獲得で躓いた時、どの方法で「上手くいかない」をカバーするのかは、その人に由るのでしょう。
全ての人が私と同じように対応するわけではない…と思います。
「私の場合」をスッキリ整理して、「自閉文化を語る会」で語られるであろう「別の対応」を聴いて、その全く違う対応のどこにASDとしての共通の特性を見出せるか、それを楽しみにして聴こうと思うのです。

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