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Episode 652 あなたに応える背伸びです。

先日、古いブログ記事を整理していて、こんな記事を発見しました。

この記事の背景にあるのは、私の言うところの「みなしできる」という感覚です。
一般的には「ハロー効果」と言われる「顕著な特長に引っ張られることで、その他の評価が歪められてしまう認知バイアス」のことで、プラス側の過剰評価を指すことが多いのですが、私の造語のニュアンスはそれとはちょっと違います。
出来るとみなす側の認知バイアスが「ハロー効果」である一方で、「みなしできる」は出来るとみなされる側の喜びと苦悩を指す…と言いましょうかね、できるとされてしまうことによって発生してしまう「受け入れざるを得ない環境」のようなものが意味合いの中心です。

そうですね、2人以上の兄弟姉妹の「兄姉の立場」…とでも言いましょうか。
小さな子どもの場合、どうしてもより小さな子の方が手がかかるのです。
両親は同じように子どもたちを愛して育てていたとしても、下の子に手が掛かるから上の子がガマンすることが多い…同じ月齢・年齢で比べれば、同じように手を掛けてくれていたのでしょうが、「今このタイミングで手が掛かるのどっち?」となれば、どうでしょう。
上の子が下の子を見て、「私もあんなころがあった」と思うか…と言えば、違うでしょうね。
私も両親に甘えたいのにガマンしなければならないワケです。
これが堪えきれなくなった時に「赤ちゃんがえり」とかね、そんなことが起こるワケです。

成長して大人になっても上の子・下の子の持つ印象が「兄貴・姉御キャラ」とか「弟・妹キャラ」みたいなものとして残る事かあるのは否めないワケで、この内で「よりガマンを強いられる」のは、やはり「兄貴・姉御」の方なのだろうと思うのです。
ここで「兄貴・姉御キャラ」成立の背景にあるのが「お兄ちゃん/お姉ちゃんなんだから(できるでしょ?)…」というガマンを「受け入れざるを得ない環境」なのだろうな…と感じるのですよね。
私はこれが「潜伏(≒良い子)型ASD」の性格形成とよく似ていると、そんな気がするのですよ。

先日の記事で私は、「潜伏(≒良い子)型ASD」は、社会に潜伏する為に「自分の判断を社会に売り渡した」のだと表現しました。

自分の判断の代わりに社会的常識に従うことを選んだ私は、社会の標準に従う強烈な受動性を纏うことになるワケです。
でも…この社会の常識を受け入れるって、スルリと受け入れるとは限らない、ガマンを伴うことになる可能性もあるのではないかと思うのです。

そう思う理由は、私には「読書が楽しくない」のに「楽しい」とウソを吐かざるを得なかった過去があるからなのです。

私は文字が苦手な子どもでした。
だから文字を読むのではなく映像を見ることでものごとを理解する方が楽だったのですが、テレビや図鑑を見ていても褒められないのに、活字が並んだ本を「見て」いると褒められのです。
読書家である私の姉は褒められるのに、本が苦手なだけで私が褒められないのは何で?
褒めてもらえるようにするにはどうすれば良い?

私は「良い子」とみなしてもらえる為に、「良い子」と思われる行動のみを模倣したのです。
そこに私の気持ちがなかった…ワケではありません。
あなたの「満足/安心」に応えるための演技は、あなたの要望に応えるためのものだけではなくて、私の安心を得るための行動でもあったのです。

良い子を演じて大人の言うことを理解すれば、「良い子だね」と言って貰える…年上の兄姉がガマンしたように。

私は「心の理論」の獲得が上手くできなかったASDです。
この「上手くできない」をカバーするための方法が、あなたの指示や社会的常識に依存する「受動」という手段でした。
この「受動」を貫くには、私の上手くいかないを誤魔化す必要もあった…そういうことです。

こう考えると、「ASDはウソを吐く」には全く別の側面が見えて来る…。

あなたの応え、私を守るために「背伸び」をする必要があった…。
悲しいかな、ASDのウソには、そんな側面があるように思うのです。

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