見出し画像

Episode 671 飲まない理由があるのです。

ASDが治る薬があったら飲みますか?

最近、そんな内容のTwitterアンケートが話題になりました。
ちなみに私の判断は「飲まない」だったのですが、回答された方の3/4は「飲む」と答えたようです。
Twitterアカウントのプロフ欄に「ASDである」ということを明記している方で、ASDを肯定的捉えておられる方の割合は(実社会と比較して)決して多くないだろう…ということを差し引いても、それほどまでに現代社会はASDにとって生きにくい場所なのだということでしょう。
もちろん、この「生きにくい」に至る理由は個人の問題で、決して「ASDだから」という一言で括ることはできないのですけと。

私がその「魔法の薬」は飲まない…と回答した理由を、見事に表現されているツイートを見かけました。

はるまき(@41harukaze)さんのツイートに、敢えて私が何かを付け加えるとすれば、「仕事」と表現されている部分を「(仕事を含む)生活」にするぐらいでしょうか。
このツイートは、恐らく「魔法の薬」を飲まない…と回答した人の多くの意見を代表できるものだと思うのです。
はるまきという人物は Autistic であることで成り立っている…というアイデンティティを感じる、この感覚を持ち得た人が「魔法の薬を飲まない」と回答したのだろう…と思うのです。

はるまきさんのツイートに書かれている「飲まない理由」は3つ…コレは典型的な三段論法だと思います。
Autistic であることによる「レアな能力(理由3)」があり、それは仕事に生かされている(理由2)、故にそれを手放すことは私が私ではなくなることを意味する(理由1)…ということですよね。
要するに、ASDであるからこその特長や視点が私の仕事(生活)に役立っているから、この特長や視点を手放すワケにはいかない…という判断があるのだと思うのです。

裏を返せば、多くの人が「魔法の薬を飲む」と言った背景にあるのは、ASDの私の特長や視点が「私の仕事(生活)に役立っていない」ということにならないか…と言うことです。

以前からお話ししているように、社会的視点から見た自閉の問題点とは「自分の感情をコントロールできないこと」にあると私は思っています。
その原因は「他者視点の弱さ」にあり、あなたの立場であなたが考えていることの予測が不十分だから「私の行動(言動)」を擦り合わせることができないことがあるワケです。
このことが「ワガママで自己中心的な人」という外からの評価に繋がりがちなのですよね。

定型(典型)側から見た「ワガママで自己中心的な人」とは、私とあなたのふたりがいた時に、あなたの意見があるのを知りながら、自分の意見を押し通すタイプの人を指すのでしょう。
でも、Autistic な「ワガママで自己中心的な人」は、あなたの意見があるのに気がつかないから、自分の意見を押し通すように振る舞ってしまうのです…多分。
このふたつは、内的な構造としては「全く別のモノ」なのに、外見の共通性から同一に見られがちになるワケでして。

一方で、ASDとしての長所として上げられることは、この他者視点の弱さが故の対人関係の苦手を回避できる分野での実績である場合が多いのだと思います。
このことは以前に記事にしたので、そちらにジャンプしていただくとして…。

「魔法の薬」を飲むか否か…という最初の質問に立ち返った時にポイントになるのは、この「ASDの弱点とされる(現代社会に対しての)社会性のハンディキャップを超える長所を自分自身が認められるのか」と言うことなのかな…などと私は思うのです。

もちろん、飲む飲まないの理由は人それぞれですから、必ずしもこんな理由ではないのは当然なのですが、自らの「凹部」を理解しながらも「凸部」がそれを上回るから、「ASDの私でなければ、それは私ではない」という結論になるのだろう…と、私は思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?