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Episode 577 「融通が利かない」が楽なのです。

「シリコンバレー症候群」という言葉はASDの人を指す言葉で、特にIT関係の企業が多くあり、その技術者などが住むアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコのシリコンバレーに多くいることが起原…というのが私の認識です。
この言葉は「その地の産業」と「その産業を支える人に多く見られる特徴」を繋ぐ言葉なのですが、その特徴こそがASD特性である場合が多く、結果的にASDを指す言葉として認識されることになるワケです。
この言葉は、「ASDでも得意な分野がハマれば大活躍できる可能性は大きい」ことを意味する…というポジティブな捉え方ができる一方で、「ASDはプログラマー向き」とか「ASDは理系に強い」のような、「IT分野」から連想するイメージを単純にASDに乗せるだけでステレオタイプ的な「ASDイメージ」の固定化に使われる可能性があるようにも思います。

ただ、実際に理系に強いASDの方々も多く存在するのは事実なのですよ。
世界的に著名なASD(だろう)の人の功績を見ると…理系分野が目に付くワケでして。

では何で「理系に強いASDの人が多いのか」…という問いに、どのように答えるのかですが、ここでひとつ私の仮説を書いてみようと思うのですよ。

先日私はTwitterで、このようなツイートをしました。

ASDとは "Autism Spectrum Disorder" の略で、日本語では「自閉スペクトラム症」と表現されるのですが、一言で言ってしまえば「自閉症」なのですよ。
ただ、その症状が "Spectrum Disorder" …つまり「色々あるよ(意訳)」ってハナシ。
これは私がいつも言っている、「私の気持ちのコントロールの困難さという自閉の本質」から発生するアウトプット表現が千差万別で、特定の形がないからなのです。
「私の気持ちのコントロールの困難さという自閉の本質」の部分が "Autism" で、「アウトプット表現が千差万別で、特定の形がない」ことが "Spectrum Disorder" だと思っていただければ良いかな…と。

その辺りの話は過去記事を見ていただくとしてですね…。

ASDの理系に強いイメージは、ツイートで指摘した通り「数字や化学式のような具体的で客観的な視点を好む傾向が強いこと」に拠るのだと思うのです。
これにもう一歩踏み込むと、以前から話題にしている自閉の本質にたどり着く、というのも…。

以前に私は、自閉傾向の特徴として「心の理論」の獲得の弱さから現れる現象として「一人称の弱い自己認知」ということがあると指摘しました。

私の気持ちのコントロールが難しいから、私の気持ちをそっくり仕舞い込み、あなたの意見に迎合しようとする…いわゆる「受動型」の思考パタンを獲得したASDは、あなたのと私の関係を作り上げるために三人称位置からその関係を俯瞰するようになるのです。
それは私という一人称の位置からあなたを見ると、自我のコントロールが出来ずにギクシャクした関係になると経験上わかっているから、私の意見から自我を抜き取ったタイミングで私の意見に置き換えられた一般論を、三人称位置から私に演じさせるワケね…この時点で私のカラダは三人称位置にいる私の視点からの操り人形なのよ。
それで、私は同じく三人称位置から「一般論的に正解」と思われるあなたの答えを消去法で予測して、操り人形の私のカラダのリアクションを決めるということを無意識のうちに行う…これがASDの外モードだと私は思っています。
この件は、『「恐怖」を知って欲しいのです。』という表題の過去記事に、「ひとりままごと」をする喩えで登場します。
だいぶ面倒くさいですよね。

こんな「面倒くさいこと」をしなくていいのが、具体的で客観的事実に重点が置かれる分野…と考えればどうでしょう。
具体的で客観的ゆえに融通の効かない分野の、融通の効かなさが「面倒くささ」を取り除く特効薬になる…は、十分に考えられるセンではないかと、私は思うのです。

一般的には、具体的で客観的ゆえに融通の効かない分野の「融通の効かなさ」加減にイライラするワケですよ。
そこを手加減すればスルリと通れるかもしれないのに、たったひとつでも問題があれば通すことが許されない…ハイ考え直し、ガッカリってね。

その「手加減」こそが一人称と二人称の関係で発生する融通(ブレ)なのね。
その融通ができないから三人称俯瞰視点が発生する…ってところが受動傾向のASD思考なワケですよ。
その三人称俯瞰視点を発生させないためには、じっくりと「具体的で客観的ゆえに融通の効かない分野」の仕組みと向き合って自分の考えを熟成させる必要があるワケですよ。
ブレない相手に対して自分の意見の正確性をどうやって証明するか。
真正面から自分の意見をぶつけても、合致しなければ撥ね返される、相手がブレないから私もブレずに正面から挑める…でしょ。

人間は社会生活を円滑に行う為に「融通」というブレを覚えるのですよ。
そのブレることを上手にできないASDの私は「ブレたふり」を覚えるワケ。
その「ブレたふり」はあくまでもふりだから、自分の意思に基づく考えが反映しないところに「一貫性のなさ」という綻びがでるのでしょう。
それが目に付くと、ASD的な一貫性の無さが語られるようになる…違うかな。

良く分からない「ブレ」と関係ない世界がラク…。
そう考えると、STEM分野をはじめととする、融通をすればバグになる可能性がある「具体的で客観的であることを求められる分野」がASD気質にフィットする可能性が見えてくるよね。
もちろんこれは私の思い描く「仮説」であって、そうではない方も多いと思います。
でも、数字や化学式そのものに興味を持つ方以外に、自分の性格的にブレない分野の比較優位が理系に進ませたという可能性はあるよね。

こんな仮説を考えるのも、また楽しいものです。

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