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Episode 356 貴女がいての私です。

日・水曜日が定休日の私と、休みに曜日は関係なくて月間のシフトで休みが決まるパートナー。
昨日は月に数回しかないパートナーと休みが合う日で、9月に入って気温も落ち着いてきたから近場の温泉の無料開放されている足湯までドライブです。

片道1時間弱の道中で、たわいもない話をパートナーとするのです。
尤も、会話が得意ではない私ですから、言葉は途切れがちなのですが…。
ぽつりぽつりと「夏に海に行って楽しかった話」とか、「実家の畑の秋野菜の準備をする話」とか…ASD的な思考回路からすると「足湯に行く道すがらに関係ないのでは?」という発想が思いついてしまうような「どうでもいい話」があって、それをクルマを走らせながら「そうだねぇ…」なんて受け答えしながら走るのです。

クルマの運転中は、当然「安全」が第一優先。
そう言った意味では生返事をしても「ねぇ、聞いてるの?」なんて言われずに済むので気楽だったりします。

日本一不味いという飲める温泉にチャレンジしたり、並んで足湯に浸かったり。
娘ふたりは成人済み、一番下の長男が高2で、どこに行くにも「夫婦2人で」が多くなった…と実感。

ASDの私は、おそらく同じくASDであったであろう父親と同じように「子どもたちの目線に合わせて一緒に遊ぶ」ということが出来なくて、「遊んでやっている」という上から目線で子どもたちと接してきたのだろう…という反省があってね。
そんなことを足湯に並んで浸かりながらパートナーに話をしたら、「そうかもしれない…でも、子どもたちは『パパはママが大好き』をちゃんと知っているよ」って言うのです。

夫婦の仲が良いこと。
パートナーは、それがどれだけ家族の安定に繋がるのかを、たった一言で言い現わしたのです。
「あなたはそれだけで良い」
ちょっと的外れで変わっているところはいっぱいあって、でも、あなたが私を愛してくれていることはすごく良く分かるし、それを見ている子どもたちも知っている。
発達障害が原因の「社会的な躓き」があって、苦しい時期があったのも知っているけれど、「あなたは私を好き」であることをいつも表現してくれていた…ってね。

「私ね…『絶対』という言葉を信じてなかったの」
パートナーは本人も「ドライな部分」があることは自覚アリです。
愛しあって結婚しても、その愛を永遠に誓うなんて結婚式で宣言しても、永遠や絶対なんて信じない人だったワケで、私やあなたのココロ替わりは当然あり得るという温度の低い結婚観の持ち主だったワケで…。

子どもたちの手がかからなくなってきて、夫婦の時間を持て余し気味な日常があったりして。
そんな中でふたりの関係を保ったのは、「好き」を具体的に言葉と態度で示し続ける「絶対」を信じるASD的な私の行動だったのでしょう。

察することが基本の日本的な価値観で、二十数年前に…仮にパートナーが他の定型者と恋に落ちたとして、今どうなっていたかは想像するしかありません。
でも…「上手くいかなかったかもね」なんて口にするパートナーがいたりします。

ASDも悪いばかりではありません。
私がASDを前向きに自覚して楽しく生活しようとする原動力は、こんなパートナーと暮らしているからだと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/9/5

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