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Episode 288 「とろさ」が性格を作るのです。

最近ネット上で「箸つかい」が話題になりました。
発達障害を抱える人には、お箸を綺麗に使えない人が多いのでは…という話題だったと思います。
話の方向性は「発達性協調運動障害」という症名が付く「手と手、目と手、足と手などの個別の動きを一緒に行う運動が著しく困難な障害」を発達障害を抱える人が併発しやすいということに進んでいきます。

そう言えば、私にも思い当たる節はある…けど、なんかそうじゃないなぁ。
ネット上の話題は「手足が上手に使えるか使えないか」の部分に集中した気がしますが、私の場合はそうじゃない。
それとは違う不器用さがある気がするのです。

私は基本的に手足は自在に使えるし、協調運動もできるのです。
クルマの運転は毎日してますし、免許もゴールド。
私がクルマの免許を取った平成元年当時の「普通免許」にAT限定という設定は無く、クラッチとシフトレバーが付いた、ペダルが3つのクルマを動かせなければ免許が取れなかった時代です。
私の仕事の内容はフォークリフトのオペレーターで、左手でハンドル、右手で4本のレバーを操作して1,000kg オーバーの荷物の荷扱いをする仕事です。
クローズドで仕事をしていますが、定型の同僚リフトマンと同等程度の作業はできているつもりです。
左利きなので箸は左手で扱いますが、箸つかいは「正解」の持ち方で握ることができます。

力の加減も出来るし、手と手、目と手、足と手などの協調も問題なく出来るのです。
でも私の場合、それは「自分のリズム」でという前提条件の中で可能ということらしいのです。

例えば、クルマの運転。
車線変更や交差点での右左折での安全確認は、歩行者・対向車・後続車の有無を確認して「行ける!」と判断して動き始めるワケですよ。
「行ける!」と判断するのは私で、私が行けるというタイミングを自分のリズムで掴んでいるワケです。
例えば、フォークリフトでの荷扱い。
フォークの爪先で荷物を刺さないように、パレット(荷物を載せている板)の目に合わせて「大丈夫!」のタイミングで挿し込んで掬い上げる、これも自分のリズムとタイミング。

でも…自分がリズムをとれない場合はどうもダメみたい。
例えば、ギターを弾く
上手い下手は別にして、生ギター一本で何か弾くのは出来るのです。
でも、仲間とセッションになると…途端に焦るのです。

そう言えば、小学生のころ「大縄跳び」が苦手だったっけ。

これは、典型的な「発達性協調運動障害」の事例ではないのかもしれません。
でも、恐らく私は協調運動の限界値が低いのだと思います。
簡単に言えば「とろい」。

回りのスピードに着いていけなくなるタイミングでミスが出る。
ミスが出ない様に先回りで動く、ペース配分と予定調和で乗り切る性分を作る要因になった?
そう考えると、なんか納得いくのです。

ASDが私の「とろさ」に影響しているかは分かりませんし、それが「発達性協調運動障害」と関係しているかも分かりません。
でも、「とろさ」が私のASD的な行動パタンに影響を与えたことは事実でしょう。

「発達性協調運動障害」の話は、単純にできるできないだけの話ではない気がするなぁ…。
そんな深読みをしてしまう私がいたりするのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/6/29

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