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Episode 373 最優先は「認める」です。

アニメーション映画にもなった大今良時氏のマンガ「聲の形」は、いじめっ子だったが故に孤立してしまう少年・石田将也と、聴覚障害を持つ少女・西宮硝子の恋心を軸に、人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさや、人として生きることの意味を問うヒューマンドラマです。
私には、この原作のマンガに「忘れられない」シーンがあるのです。

石田君に明確な恋心を持つ西宮さんは、耳が聞こえないが故に日本語をキチンと発音出来ません。
でも普通に恋かしたい西宮さんは、上手く発音できない日本語で石田君と話すことを試みます。
結局、その言葉は石田君の理解する日本語には聞こえず、手話で「私、声、変?」と聞くのです。

先日、ブログ記事で食事中に食べ終わった食器を下げてしまう件で揉めた話をしました
それは「私の考えていることは、あなたの考えていることと同じだ」と思い込んで疑わないことによって起こる、自他境界線の緩さが根本にある「会話を飛ばして行動してしまう」ということが原因だと言うことは指摘した通りです。

こうした会話や行動のステップを飛ばしてしまうことによって起こるすれ違いは、ASDである私が「自他境界線」を意識することによって、ある程度は改善することが可能です。
あなたと私は違う考え方をするのだから、勝手に行動せずにどうしたら良いかを相談することができれば、かなりの確率でトラブルを回避することができるのだ…と、パートナーとの生活の中でわかってきたと私は思います。

でも、これを「完全にできるのか?」…と聞かれれば、首を傾げてしまいます。
そもそもASDである私の思考パタンは「私の考えていることをあなたは理解している」と思い込むことがデフォルトなのですから、「あなたと私は違う考え方をするものだ」ということを意識していなければ、もともとの「ラク」な考え方に舞い戻ってしまうのです。
だからと言って常に意識を持って自他境界線を考えていられるかと言われたら、そこまでの集中力は私にはない…と、言わざるを得ません。
こんな風にして、わかっていても勝手に食器を下げてしまうみたいな「事故」が起きてしまうのです。

とまぁ…私の努力次第でコミュニケーション能力は向上するみたいな凄く自分勝手な理論を書いて来ましたが、この話を成り立つようにしてくれているのは、実はパートナーの存在が大きいのです。
書いた通り、自他境界線を意識できるのは私が集中力を確保できる体調次第の部分が多くて…即ちそれは私の行動には「ムラ」があるということなのです。
いつでも調子よく境界線を意識した行動がとれるわけではない…良い時も悪い時もあるということ。

私は私で精一杯の「努力」で、自他を意識しようとしていることは間違いのない事実です。
ただ、それはいつもコンスタントに成果を発揮してくれたりしないのです。

私は私がASDであることを認めて、私自身の弱点と向き合ってきたつもりです。
でもそれは、私のパートナーも同じように私がASDであることを認めてくれるということでもありました。
パートナーは私をASDだと認識して、その弱点を知った上で私の努力の「ムラ」に付き合ってくれたということです。

「聲の形」で、西宮さんに「声(発音)が変か?」と聞かれた石田君は、「うん…変」と答えます。
その上で「それでいいから」というのです。
変であることは承知している、でもそれで十分だ…と。

聞こえないが故に正確な発音が分からない西宮さんは、それでも口の形を見て、喉に触れて振動の具合を手で感じて、発音しようと努力していました。
石田君はその努力に寄り添おうとするのです。

努力しなくていいとは言いません。
努力することによって広がる世界があるのは明らかです。
でも、努力して完全を目指せば、失敗することで挫折し、疲れて、絶望してしまうかもしれません。

先ず最優先は「認める」こと。
その上で出来るようになったことは、「+α」であると理解すること。
その作業を当事者もパートナーもすることなくして定型者と発達障害者の良好な関係は維持できないと思うのです。

私はパートナーから大切なことを教わりました。
私がASDを認めることで心を開き、そして初めてあなたは私を知ることが出来るのです。

出来なくていい。
認める。
出来るようになるための努力は、その次の話だと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/10/13

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